スペイン・ハプスブルク家の近親結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:48 UTC 版)
「フェリペ3世 (スペイン王)」の記事における「スペイン・ハプスブルク家の近親結婚」の解説
フェリペ3世の生母アナはフェリペ2世の姪である。オーストリア・ハプスブルク家との間の3親等クラスの近親婚(叔姪婚)による出生は、この王から始まる(ローマ教皇から赦免状をもらっての近親結婚だった)。 これは、祖父カルロス1世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世)以来のフランスとの対立や、父フェリペ2世の非妥協的宗教政策、ポルトガル併合が関係する。まず当時、名門スペイン王室と臣下や格下の諸侯との結婚などありえなかった。しかし、ヨーロッパ各地の王侯は次々とプロテスタントに改宗していたため、彼らとの結婚もできなかった(当時の常識において異端者は異教徒より悪質とされた)。同じカトリック教徒の王室として残るのは、フランス王家と両ハプスブルク家、ポルトガル王家だったが、フランス王家とは敵対しており、この時期のポルトガル王家はフェリペ2世が継いでスペイン・ポルトガルの両王国は合一していた。結局、選択肢はオーストリア・ハプスブルク家との近親結婚のみとなった。のちにフランス王家からも王妃を迎えることになるが、それでもやはり選択肢が2家しかないので、近親結婚の問題が根本的に解消されることはなかった。 後にスペイン・ブルボン家も似たジレンマを抱え込んだ。
※この「スペイン・ハプスブルク家の近親結婚」の解説は、「フェリペ3世 (スペイン王)」の解説の一部です。
「スペイン・ハプスブルク家の近親結婚」を含む「フェリペ3世 (スペイン王)」の記事については、「フェリペ3世 (スペイン王)」の概要を参照ください。
- スペイン・ハプスブルク家の近親結婚のページへのリンク