風林火山
「風林火山」とは、戦いの心構えのことを意味する表現である。
「風林火山」とは・「風林火山」の意味
「風林火山」とは、戦における四つの心構えを説いた四字熟語である。「其疾如風其疾如風其疾如風其疾如風(其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如し)」の略。「疾きこと風の如く」とは、攻める時のスピードの重要性を説いたもので、風のように素早く動くべきという意味である。「徐かなること林の如く」は林のように静かに構えることを意味しており、焦らず、よいチャンスやタイミングが来るのを落ち着いて待つべきと説いている。また、「侵略すること火の如く」は、侵略する際の勢いに注目したもので、火のような激しい勢いで攻め奪うことが大切だという意味を持つ。そして、「動かざること山の如し」は、自分の陣営を守る際に必要な心得であり、敵の挑発に乗らず、山のようにどっしり構えて動かないことが重要だと説いている。この言葉は、戦国時代に活躍した甲斐の武将、武田信玄が旗に書いたことで有名になった。また、その軍旗のことを指して言う場合もある。「風林火山」の由来とされている古代中国の兵法書「孫子」には、この後に、「難知如陰動如雷霆」という続きも書かれており、それが風林火山の節の全文となるが、武田信玄は軍旗に「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」という最初の14文字だけを書いていた。武田信玄が生涯の中で挑んだ合戦は130回余り。敵はそれを見ただけで恐怖を感じていたと伝えられている。しかし一方で、この時代に「風林火山」の4文字に略したという事実までは残されていない。そのため、「風林火山」と略すようになったのは、現代の創作や脚色などが要因とも言われている。
なお、「風林火山」は、戦いにおける心構えを述べたものであるが、そこから転じて、物事の対処の仕方に対しても使われるようになった。時機や情勢などに応じた働き方として使われており、主に、ビジネスやスポーツの分野で用いられることが多い。
「風林火山」の読み方
「風林火山」の読み方は、「ふうりんかざん」である。「風林火山」の語源・由来
「風林火山」は、中国春秋時代に作られた兵法書、「孫子」が由来だとされている。呉の国には、紀元前500年頃に軍事思想家の孫武がいた。これは、彼が戦いの記録を分析、研究し、勝つための理論をまとめた書物である。その中に「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」と、「風林火山」の内容が登場した。「風林火山」の熟語・言い回し
風林火山陰雷とは
兵法書「孫子」の中で登場した、「風林火山」の続きである「難知如陰動如雷霆」も加えたもの。「難知如陰」とは「知り難きこと蔭の如し」、つまり味方の戦略は陰のようにひそめるべきという、情報を守ることの大切さを説いたものだ。また、「動如雷霆」は「動くこと雷霆の如し」で、兵を動かす際は、雷のように激しく動かすべきという意味を持っている。
近くの風林火山とは
該当なし
「風林火山」の使い方・例文
「風林火山」を使った例文は下記の通りである。・彼の戦術は、まさに風林火山だと言えるだろう。
・勝利のためには、風林火山のように、情勢や時機をよく見ながら動くことが大切だ。
・武田信玄が掲げた風林火山の軍旗を見て、敵は戦う前から恐怖心を抱いていたらしい。
・次の試合では、風林火山のようにプレーすることを心掛けたい。
・風林火山に気を付けてから、仕事がうまくいくようになった。
・やみくもに攻めるのではなく、風林火山のようにチャンスを待つことも大切だ。
・彼女の生き方は、まるで風林火山のようだと言える。
・今回のプロジェクトでは、メンバー全員に風林火山の心構えを持ってもらいたい。
・昨日の試合は、まるで風林火山のようでとても楽しめた。
・いくら実力があっても、風林火山を忘れてしまっては、なかなか熾烈な戦いに勝つことはできない。
風林火山
風林火山とは、風林火山の意味
風林火山は、今日では「武田信玄の旗印」として知られ、また「理想的に行動するための心構え」として理解される語。「いざ動くときは風のように素早く動き」「動かないときは林のように静けさを保ち」「攻め入るときは火のように激しく攻め」「守るにあたっては山のようにどっしりと構える」べし、という趣旨と解釈される。風林火山の語の由来・語源
「風林火山」は孫子が説いた兵法に基づく語である。「孫子」に記された「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」というくだりが、「風林火山」の直接の由来とされている。風林火山の語の使い方
風林火山は兵法の理想として、たとえば座右の銘として用いられる場合がある。球技における攻守に盤石なプレイを「風林火山を体現するかのようなチーム」と評する場合はあり得る。風林火山の類語と使い分け
「風林火山」の類義語のような表現は見出し難いが、「状況に応じて適切に行動する」旨の行動指針、という意味では「臨機応変」などが類似表現として挙げられ得る。ただし「臨機応変」は、想定外の状況などを含めてあらゆる状況で柔軟に対応する、といった意味合いが強く、もともと兵法であり方法論である「風林火山」とは毛色が異なる。風林火山の「風」すなたわち「疾きこと風のごとし」だけなら、「疾風迅雷」や「電撃」などの語が類義語として挙げられる。「林」は「森閑・森厳」、「火」なら「烈火のごとく」、という風に個別に類似表現を挙げることはできる。
風林火山
ふう‐りん‐か‐ざん〔‐クワ‐〕【風林火山】
風林火山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/23 02:28 UTC 版)

風林火山(ふうりんかざん)は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の通称である。古くは「孫子四如の旗」と呼ばれた。雲峰寺に日の丸の御旗、諏訪神号旗とともに現存するものが有名。
孫子の兵法
好戦的と誤解されることが多いが、『孫子の兵法』の序文は「兵は詭道なり」という言葉で始まり、「可能であるなら外交によって戦争を回避すべき」という教えである。
風林火山の原文の出典は『孫子の兵法・軍争篇』の一節、風林火山の後にも続きがあり、全文は以下である。
「 | 故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷霆[1]、掠郷分衆、廓地分利、懸權而動。 | 」 |
故に、
-
其疾如風: 其の
疾 きこと風の如 く、 -
其徐如林: 其の
徐 かなること林の如く、 -
侵掠如火:
侵掠 すること火の如く、 - 不動如山: 動かざること山の如し、
-
難知如陰: 知り難きこと
陰 の如く、 -
動如雷霆: 動くこと
雷霆 の如し、 -
掠郷分衆: 郷を
掠 めて衆を分かち、 -
廓地分利: 地を
廓 めて利を分かち、 - 懸權而動: 権を懸けて而して動く。
「風林火山」は、いざ戦争となった場合の動きを示すための言葉であり、動くべき時には風のように迅速に、動くべきでない平常時には林のように静観し、いざ行動を起こすときには烈火の如く侵攻し、守るべき時には山のようにどっしりと構えるよう、状況に応じて柔軟に対応するように……との戒めである。
転じて、「物事の対処の仕方」において、時機や情勢などに応じた適切な動き方を意味する熟語となっている。現代においては、ビジネスの経営者の間でも使われる場合がある。
孫氏の教えの要は序文の「兵は詭道なり」であり、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という武田信玄の外交・調略を多く用いた方針を表している。
『孫氏の兵法』がヨーロッパに紹介されたのは、抄録が18世紀にナポレオン・ボナパルトが愛読したと言われ、20世紀に漢文⇒日本語⇒英語と全訳が翻訳されたため、日本を介してヨーロッパに紹介された。
このため、20世紀の軍学で『孫氏の兵法』が流行した。それに伴い武田信玄がヨーロッパで有名になる土壌があった。その後、黒澤明の日本映画「影武者」によって有名となったため、風林火山は武田信玄の旗として認識されることがある。
武田信玄の孫子の旗(はた)
この文句の初出は武田晴信(信玄)が快川紹喜に書かせたという軍旗に由来する。この旗がいつ作られたのかは確かな記録がなく良くわかっていないが、『甲陽軍鑑』には永禄4年(1561年)から使用を始めていると書かれている。甲州市・雲峰寺、武田神社など数旗の現存が確認されており、特に雲峰寺のものが著名である。
諏訪神号旗
武田信玄は信仰する諏訪明神の加護を信じて「
北畠氏が用いていたとする説
武田信玄が風林火山の旗を用いたのは、北畠氏が中国の兵法書の『六韜』の軍学を奉じていたのに対抗するためと言われることが多い。
軍学者の兵頭二十八は、「当時の戦国武将の間では、兵法書といえば越前朝倉氏などが講義を受けていた『六韜』『三略』以外は知られていなかった。そこで信玄は、自分たちは孫子を知っているということを誇示し、敵を恐れさせるために孫子の旗を作ったのだろう」[2]と述べているが、これも憶測の域を出ていない。
インターネット上[3]では、大阪阿部野神社蔵の伝・北畠顕家の旗に、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」という文言があるといい、信玄は北畠顕家の旗を元に「孫子の旗」を作ったという説がある。
風林火山の呼称について
この旗の調査を行った戦国史研究者の鈴木眞哉が、学者の説をまとめているが、
- 旗指物の研究を行った高橋賢一は、「風林火山」という語句は文献に全く記載なく、現代の創作だと考えている。鈴木も井上靖の歴史小説『風林火山』が最初ではないかと考えている。
- 古くは、孫子の旗もしくは孫子四如の旗としか書かれていない。江戸時代の記録にも、武田信玄の軍旗としか記載がない。
- 旗の形状にも諸説があり、実際にどんなものであったか、江戸時代の軍学者の間でも問題になっていた。
- なぜ孫子からこの部分が引用されたのかも分からない。孫子の原文の一部が切り取られている理由も不明[4]。
脚注
関連項目
外部リンク
参考文献
風林火山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:06 UTC 版)
詳細は「風林火山」を参照 風林火山の旗が有名である為、信玄の代名詞とされる事がしばしば見られる。 「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」 諏訪明神の加護を信じて「南無諏方南宮法性上下大明神(なむすわなんぐうほっしょうかみしもだいみょうじん)」が同時に使われている。
※この「風林火山」の解説は、「武田信玄」の解説の一部です。
「風林火山」を含む「武田信玄」の記事については、「武田信玄」の概要を参照ください。
風林火山と同じ種類の言葉
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