軍事思想
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「アントワーヌ=アンリ・ジョミニ」の記事における「軍事思想」の解説
ジョミニは各地で軍務に就きながら軍事学の研究を行っており、数多くの著作や論文を発表した。最も初期の研究は1804年から1816年にかけて書かれた全8巻の『大陸軍作戦論』であり、この著作でジョミニは近代戦争における戦略と戦術の専門家としての国際的な評価を獲得していった。1806年に書かれた全5巻の『革命戦争の批判的戦史』、1819年から1824年に書かれた全15巻の『革命戦争の批判的戦史 続』、1827年に書かれた全4巻の『ナポレオン政治的軍事的生涯』などの戦史研究も執筆している。さらに1829年には『戦略戦術の総合研究入門』、1830年にニコライ1世の勧告の下に『戦争術の分析要約』を作成し、1837年から1838年にかけて加筆を加えて2巻の書籍として編集し『戦争概論』を完成させた。この著作は、ジョミニがそれまで研究してきた戦争術の普遍的な原理について詳説された。ちなみにジョミニが最後に発表したのは、1839年に出された『1815年会戦の政戦略概要』である。これらの一連の研究の中で特に重要な業績は、ユリウス・カエサルからナポレオンの時代まで戦略家たちが依拠してきた一般的原理の存在を主張する、ジョミニの軍事思想が展開された『戦争概論』である。 不変的で確実な原則の存在を提唱したロイドの啓蒙主義な軍事思想をジョミニは賞賛しており、またナポレオンが実践した戦略を観察してその原則を明らかにすることに努めていた。なぜなら、ジョミニの見解によれば、ナポレオンは常に不変的な戦略の原則を適用していたために勝利していたためである。それは、古代から近代にかけて変化してきた戦争の様相によって左右されない戦争術の法則であって、ジョミニはある戦力を戦場において決定的な地点を脅かすように運動させる簡潔な一般的原則を提唱した。ここでの決定的な地点とは決勝点でもあり、敵にとって致命的または弱体化を余儀なくされるような地点という性格がある。具体的には交通路、渡河点、隘路、兵站基地、または敵の側面や背後などが、その地点となりうると考えられる。ジョミニはさらにこの決勝点の概念と関連して、ロイドと同様の作戦線に関する主張を展開している。ただしこの論点に関して、ジョミニの基本的な主張は作戦線の性質を識別することにあり、彼は河川や山岳などの障害地形を越えて軍事作戦を遂行する際に絶対的距離として現れる自然的な作戦線と、自然環境の制約の中で戦略的選択に関して現れる作戦線の二つを区別した。ジョミニは簡潔さを追求しながらも10種類以上の作戦線の区分を作っており、また内線作戦と外線作戦の関係について内線作戦の価値を強調した。
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軍事思想
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田穰苴(司馬穰苴)(紀元前6世紀ごろ) - 『司馬法』の著者とされる。 孫武(紀元前5世紀ごろ) - 『孫子』の著者。兵家の代表的人物 孫臏(紀元前4世紀ごろ) - 『孫臏兵法』の著者。孫武の子孫とされる。 戚継光 (1528 - 1587) - 対倭寇戦の経験から『紀效新書』、『錬兵実紀』を著し、中国や日本の兵学に大きな影響を与えた。 趙士楨 (1567? - ?) - 火縄銃の製造法と火器を用いた戦術を研究し『神器譜』を著した。 小幡景憲 (1572 - 1663) - 甲州流の兵学者。『甲陽軍鑑』の作者であると言われている 北条氏長 (1609 - 1670) - 北条流兵学の祖。小幡景憲に学んだ 山鹿素行 (1622 - 1685) - 山鹿流兵学の祖 長沼澹斎 (1635 - 1690) - 長沼流兵学の祖 片山良庵 (1601 - 1668) - 軍学者。北条氏長に学び、北越に学統を残す。 有沢永貞 荻生徂徠 (1666 - 1728) - 当時の兵学が非実用的であることを批判し、兵学書『鈐録』を著した。 徳田邑興 (1738 - 1678)- 火器を重視する兵学である合伝流の祖。
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軍事思想
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「ジャック・アントワーヌ・ギベール」の記事における「軍事思想」の解説
ギベールは啓蒙主義の時代に生まれ、フォラールやピュイセギュール、サックスの研究を調べながら独自の軍事思想を形成していった。ギベールにとって重要だった論点に戦争学の方法論、軍事組織、そして火力と機動の関係、それに伴う補給の問題などがある。ギベールは戦争学の方法論として科学的方法を適用することを構想していた。ギベールによれば、戦争には規則や原理によって支配された機械的要素と不確定的な要素に区別することが可能であり、前者については科学によって解明することが可能であると考えていた。同時に彼は伝統的な戦争についての研究には方法論で重大な欠陥があったことを指摘しており、普遍的な戦争の原理を明らかにする戦争科学の確立を提唱している。またギベールは軍事組織について市民軍の創設を主張していた。この主題は当時のサロンでよく論じられていた主題であり、ギベールは階級的な区分にしばられていない国民全体から組織された軍隊の創設こそが精強な軍隊をもたらすと考えていた。彼は国民性の観念を軍事組織の分析に反映させながら、この見解を補強している。しかし実際には市民軍のような軍隊は革命が起こらない限りは不可能であると思われたために、プロイセン軍が行ったような厳格な軍事訓練を行うことを論じるに留まっている。さらにギベールは火力に対して機動の重要性を主張する立場にあり、軍隊の主体は騎兵や砲兵よりも歩兵であるべきであると考えていた。騎兵は急襲や追撃で有効であるが、歩兵部隊の支援が不可欠であることから主体ではありえず、砲兵という戦力はギベールが期待する機動力から考えれば鈍重過ぎる戦力であった。そして歩兵部隊は縦隊で迅速に機動することを提案し、また補給の方法として倉庫方式ではなく現地調達が望ましいと考えていた。
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軍事思想
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「コルマール・フォン・デア・ゴルツ」の記事における「軍事思想」の解説
ゴルツは当時対立的であったクラウゼヴィッツ派とジョミニ派の軍事思想を両方から受け入れていた。ジョミニ派の「戦争の普遍的な原則」を認めながらも、クラウゼヴィッツの「摩擦」、「偶然」などによって原則の適用が困難となると考え、両派の考え方を融合した軍事思想を展開した。またクラウゼヴィッツの『戦争論』における「防御は攻撃よりも強力である」との記述に反論し、攻撃こそがすぐれた戦闘行動であると考え、さらにクラウゼヴィッツによる改訂が行われていれば防御優位の内容も変更されていたはずだと主張した。
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軍事思想
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彼の軍事思想の資料に『軍事論』(DE RE MILITARI)があるが、これはウェゲティウスの純粋な著作ではなく、古代ローマ人の軍事研究の資料を編纂したものである。ウェゲティウスが扱っている時代のローマ軍が歴史的にどの時代のローマ軍であるかは明確ではなく、史料として参照する際には注意が必要である。この著作の冒頭では「ウァレンティニアヌス帝」への献辞が述べられており、執筆された時期についてはウァレンティニアヌス2世の時代であると大まかに推測できる。当時のローマでは人口減少や経済の破綻により、軍隊の成員も安価な賃金で雇われた傭兵へと移行していた。このような時代背景の中で、ウェゲティウスは古代ローマの軍制を再考しており、かつてのレギオンの伝統を再建することを試みている。 彼の著作はヨーロッパの軍事思想史において重要な影響を及ぼしたと考えられており、10世紀には最古の写本があったことが分かっているが、既にこの頃に多くの写本が流通していた。イングランド王ヘンリー2世やイタリアの行政官マキアヴェリ、フランスの軍人モーリス・ド・サックスなどの軍事思想に影響を与えたとされている。 その内容は、兵士に対する軍事訓練・軍規、レギオンの編制と運用、戦略と戦術、そして陣地戦闘や海戦などを論じたものである。 「汝、平和を欲するなら、戦い(戦争)に備えよ」 「危急の際に要することは平穏な時代から継続的に為すべきである」 「生まれながらの勇者はいない。勇者は訓練と軍紀によって育てられる」 などの格言を残しており、現代においても引用される文献である。
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