北条氏長とは? わかりやすく解説

ほうじょう‐うじなが〔ホウデウうぢなが〕【北条氏長】

読み方:ほうじょううじなが

[1609〜1670]江戸前期旗本軍学者幕府大目付安房守。北条流兵学の祖。後北条氏出身で、軍学小幡景憲(おばたかげのり)に学ぶ。オランダ流攻城法を学んだことや、江戸地図作成したことでも知られる著作に「兵法雄鑑」「士鑑用法」など。


北条氏長

読み方ほうじょう うじなが

武将北条流兵法の祖。初め氏永、安房守と称し氏繁の孫。将軍秀忠仕えて町奉行経て大監察となり従五位下叙せらる。『雄鑑抄』・『士鑑要法』『兵法問答』等の著書がある。寛文10年(1670)歿、62才。

北条氏長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/02 02:06 UTC 版)

北条 氏長(ほうじょう うじなが)は、江戸時代前期の幕臣軍学者北条流兵法の祖。通称新蔵は後に氏永(うじなが)、正房(まさふさ)と改名する。


  1. ^ 北条早雲とその一族 2007, pp. 122.
  2. ^ 氏則は北条氏光の子
  3. ^ 義兄の福島国隆養子、のち兄の元氏養子。
  4. ^ 幕府旗本。旧北条氏重臣の遠山氏出身で、養子縁組後、氏長の祖である福島氏(くしまし)を名乗り、氏長の業績を手伝い、自身は北条流軍学をさらに進めたと伝わる。
  5. ^ 氏勝の養子で徳川家康の甥の北条氏重が継ぎ、1万石から加増を重ねて掛川藩3万石となるが、嗣子がなく断絶した。
  6. ^ 小堀遠州の三男。幕府旗本1千石。茶道の大和遠州流の祖。
  7. ^ 攻城阿蘭陀由里安牟相伝”. 早稲田大学図書館. 2020年12月12日閲覧。


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北条氏長(ほうじょう うじなが)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:29 UTC 版)

大殺陣」の記事における「北条氏長(ほうじょう うじなが)」の解説

大目付酒井腹心素行にとって年下師匠であった酒井の命を受けて素行一党捕らえるが、実証重んじる主義のため、堀田正俊釈放し山鹿素行逮捕先延ばしにする。また、発狂した日下釈放しそのまま野放しにする。

※この「北条氏長(ほうじょう うじなが)」の解説は、「大殺陣」の解説の一部です。
「北条氏長(ほうじょう うじなが)」を含む「大殺陣」の記事については、「大殺陣」の概要を参照ください。

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