山内一安とは? わかりやすく解説

山内一安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 03:54 UTC 版)

山内 一安(やまうち かつやす、寛永13年10月1日1636年10月29日[1] - 万治3年6月4日1660年7月11日))は、江戸幕府旗本。麻布山内家初代。土佐藩山内忠義の四男。母は忠義側室の融性院[1]。幼名は松之助、通称は猪右衛門。官位は従五位下、遠江守(1651年叙任)。

徳川家綱の小姓となり、明暦2年(1656年)3000俵を賜り詰衆となる。屋敷のあった麻布にちなみ麻布山内家と呼ばれた。万治3年(1660年)に25歳で没し、弟の山内之豊(忠義の五男)が家督を継いだ。戒名は義徳院仁忠智寛居士[1]

脚注

  1. ^ a b c 『皆山集 : 土佐之国史料類纂 第3巻 (歴史(2)篇)』高知県立図書館、1976年、p.54。




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