山内之豊
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山内 之豊(やまうち ゆきとよ、寛永14年1月7日(1637年2月1日)[1] - 元禄4年4月29日(1691年5月26日))は、江戸幕府旗本。麻布山内家2代。土佐藩主山内忠義の五男。母は忠義側室の照應院。幼名は梅之助。通称は源左衛門、式部。初め安豊と名乗る。兄に山内忠義、山内忠豊、山内一安。妻・松壽院は岡崎不説の娘[1]。子に豊則、豊房、愛(大森頼隆室)、伊与(石河貞名室)、豊清(養子、山内豊明の子)、岩(根来正国室)。
兄の一安が万治3年(1660年)25歳で早世したため、その家督を継ぎ寄合に列する。元禄4年(1691年)に没し、養子の豊清が家督を継ぐ。戒名は本源院心翁道徹居士[1]。墓所は東京都港区の曹渓寺。
脚注
固有名詞の分類
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