北条氏繁とは? わかりやすく解説

北条氏繁(ほうじょう うじしげ) 1536~1578


北条氏繁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 09:35 UTC 版)

 
北条 氏繁 / 北条 康成
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文5年(1536年
死没 天正6年6月13日1578年7月17日
改名 康成(初名) → 氏繁
別名 善九郎(仮名)、左衛門大夫、常陸介
戒名 龍寶寺殿応栄公大居士
墓所 神奈川県鎌倉市植木の龍寶寺
主君 北条氏康氏政
氏族 玉縄北条氏
父母 父:北条綱成、母:大頂院北条氏綱の娘)
兄弟 康成(氏繁)康元(氏秀)
高源院殿(北条氏規室)、
浄光院殿(遠山政景の兄・遠山隼人佐室)
七曲殿北条氏康の娘)
氏舜氏勝氏成(直重)千葉直胤繁広、娘(上杉氏憲室)、娘(杉原長房室)[1]
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北条 氏繁(ほうじょう うじしげ)/北条 康成(ほうじょう やすしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将後北条氏の家臣。北条綱成嫡男玉縄城主、岩槻城城代鎌倉代官なども務めた。

生涯

天文5年(1536年)、後北条氏の家臣・北条綱成の嫡男として誕生した[2]。母方のおじにあたる北条氏康に仕え、偏諱を受けて康成と名乗る(生涯の大半はこのを名乗っている)。また、のちに氏康の娘で康成の従姉妹にあたる七曲殿を妻としている。

永禄元年(1558年)3月に綱成が取次を務める白河結城家との交信において活動が確認される[2]

永禄4年(1561年)に上杉謙信小田原へ侵攻した際には綱成が里見家への抑えとして三崎城に入ったため、玉縄城の留守を預かった[3]

永禄7年(1564年)の第二次国府台合戦には綱成と共に参陣し、活躍が確認されている[4]

永禄10年(1567年)に太田氏資が戦死すると岩付城代に任じられた。この人事には康成を兄弟衆と準じた扱いとする氏政の意図があり、綱成とは別個の役割を与えられるようになった[5]

永禄12年(1569年)に武田信玄による駿河侵攻に応じて大道寺資親が出陣すると、資親に代わって鎌倉代官に任じられた[6]。なお、資親が帰陣すると康成も鎌倉代官から離任にしたが[7]元亀2年(1571年)から天正2年(1574年)まで再度鎌倉代官を務めている[8]

元亀元年12月に信玄が駿河御厨地方に侵攻すると弟・康元と共に迎撃に向かっている[9]

元亀2年11月に綱成から家督を継ぎ、翌元亀3年の初めに氏政から北条家の通字である「氏」を与えられ、氏繁と改名した[10]

甲相同盟が復活し、再び北条家・武田家と上杉家が北関東で抗争すると、氏繁は天正2年(1574年)2月から3月にかけて上杉方の最前線にあたる深谷城羽生城を攻撃している[11]

天正6年(1578年)、父に先立って対佐竹氏の最前線、下総飯沼城中にて病死した。跡を嫡男の氏舜が継いだ。

その他

氏繁は自分の印判に『易経』からとった「顚趾利出否」という文を刻んだ。政治秩序が顚倒しており、旧弊を一掃するのに好都合だという時勢観を表したものである[12]。『北条記』の「北条常陸守氏重事」によれば、鷹を飼育することにかけても名人だったといい、武人画家として、『鷹図』(個人蔵)などの作品を残している。また、氏繁が息子たちに軍陣での作法や行動を教えるために書き記したと思われる『出陣次第』(国立歴史民俗博物館蔵)という冊子は、当時の武家故実を現在に伝える貴重な書物となっている。

脚注

出典

  1. ^ 黒田 2007, p. 141.
  2. ^ a b 黒田 2021, pp. 111–113.
  3. ^ 黒田 2021, pp. 146–148.
  4. ^ 黒田 2021, pp. 164–168.
  5. ^ 黒田 2021, pp. 180–183.
  6. ^ 黒田 2021, pp. 190–192.
  7. ^ 黒田 2021, pp. 192–194.
  8. ^ 黒田 2021, pp. 203–205.
  9. ^ 黒田 2021, pp. 208–210.
  10. ^ 黒田 2021, pp. 223–225.
  11. ^ 黒田 2019, pp. 178–181.
  12. ^ 勝股鎮夫「天下と国家 クニとイエと支配の論理」、『週刊朝日百科 日本の歴史』23(中世から近世へ4・戦国大名)、1986年、28頁。

参考資料




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