松宮観山とは? わかりやすく解説

まつみやかんざん 【松宮観山】

江戸中期儒学者兵学者。名は俊仍。下野修験の子一四歳で江戸松宮家の養子となり、兵学修めて長崎奉行仕え蝦夷地から長崎までを視察し、のち江戸下谷で塾を開く。七〇歳で隠居して主鈴改名し神道中心とする国体論強調して水戸学成立影響与えたが、尊王論者幕府弾圧した明和事件連座して江戸追放。著『三教要論』他。(一六八六~一七八〇)

松宮観山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 02:14 UTC 版)

松宮 観山(まつみや かんざん、1686年貞享3年) - 1780年7月25日安永9年6月24日))は、江戸時代中期の儒学者思想家・兵学者である。北条氏長(旗本。北条流兵学者。小幡景憲弟子)の子である氏如の弟子。別名、「俊仍(しゅんじょう)」、「左司馬」とも称せられる。観山は北条氏如とともに全国各地に赴き見聞を深め、晩年は著述や教授を業とした。




「松宮観山」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松宮観山」の関連用語

松宮観山のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松宮観山のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
中経出版中経出版
Copyright (C) 2024 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松宮観山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS