刀と脇差の違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 10:01 UTC 版)
刀とは、広義には日本刀の総称であるが、狭義には、2尺(約60.6センチメートル)以上の刃長を持ち、刃を上向きにして腰に差すものを言う。そして、(狭義の)刀と同形の日本刀で、2尺未満のものを脇差と言う。また、現代日本語では、打刀とは、この(狭義の)刀の方の別名である。 しかし、以下に述べるように、このような区別が定着したのは江戸時代半ばである。 もともと、「打刀」とは、長さによらず、刃を上向きにして腰に差し鍔をつける打ち合い用の日本刀の総称で、鎌倉時代などには1尺(約30.3センチメートル)から2尺程度の「打刀」が主流だった。 また、「脇差」という言葉そのものは、南北朝時代に書かれた『太平記』(1370年ごろ完成)に用例が見られ、淵辺義博が「脇差の刀」を用いたり、南都の衆徒(奈良の僧兵)らが「脇差の太刀」を持っていたという描写がある。しかし、一説によれば、この「脇差」とは隠して差していたという意味で、前者は鎧の下に隠し持っていた短刀、後者は法衣の下に隠し持っていた小太刀のことをこう呼んだのだという。 やがて、戦国時代に入ると、長大化した打刀も現れ、大きい打刀と小さい打刀を同時に差すようになり(大小)、「刀」とは前者を、「脇差」とは後者を示す言葉になった。大小を用いるようになった具体的な時期は諸説あるが、福永酔剣は、永禄年間(1558–1570年)かそれ以降ではないか、と推測している。少なくとも、15世紀半ばに来日した李氏朝鮮の申叔舟や、16世紀初頭の伊勢貞頼の記録では、武士が常用して佩くあるいは差すのはまだ一刀であったことが窺える。 その後、江戸時代のある時点で、(狭義の)刀と脇差を分ける刃長について、具体的に2尺という基準が定着した。角野寿見『享保午記』(享保11年(1726年))、松宮観山『続一歩集』(宝暦3年(1753年))、榊原長俊『本邦刀剣考』(寛政7年(1795年))等によれば、この2尺という値は、本阿弥家が折紙(鑑定書)を書く時の必要上から便宜的に定めたものであるという。 しかし、地方によってはこの本阿弥家の基準は浸透しておらず、新井玉英の『和漢刀剣談』(天保5年(1834年))によれば、仙台藩では刀と脇差を分ける基準は2尺1寸(約63.6センチメートル)であったという。 幕末期には『勤王拵』と称される3尺前後の長い打刀が流行したが、脇差においても長いものが好まれ、新選組局長近藤勇の書簡にでは打刀とほぼ同寸の長脇差が良いとされている。
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