アイヌの視点による民族史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/18 15:17 UTC 版)
新谷はアイヌの歴史を江戸時代よりはるかに遠く、『日本書紀』の蝦夷の記述までさかのぼらせ、アザマロやアテルイからコシャマインやシャクシャインによる和人への抵抗を一貫した動きととらえ直し、アイヌは和人の侵略に決して無抵抗であったわけではないことを示す。逆に早くから北方に目をつけた先駆者と認められる工藤平助や松宮観山・最上徳内のような知識人や探検家は、新谷によりアイヌへの無理解や偏見を指摘され、厳しい批判にさらされる。この点での例外は松浦武四郎のみとも考えられている。 彼の意見では明治から現代に至るアイヌ研究家は、同化させるべき対象としてか、滅びゆく文化を代表する存在としてしかアイヌ民族を扱ってこなかった。金田一京助や高倉新一郎の学者としての業績は「アイヌを犠牲にした結果」とまで極言する。和人学者のそのような態度に抵抗するものとして、知里幸恵・知里真志保・バチェラー八重子・違星北斗・森竹竹市・鳩沢佐美夫などのアイヌ作家が採りあげられ、民族の生命力の証として積極的に評価される。
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