アイヌの記録手段
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 18:54 UTC 版)
アイヌ社会には、文字に代わる記録手段として結縄や木の棒に刻み目を付ける方法が存在した。違星北斗によると、後者をアイヌ語でトッパシロシ(toppasirosi)という。アイヌ語のトッパ(toppa)またはトクパ(tokpa)は「刻む」の意であり、シロシ(sirosi)は「印」(しるし)の意である。アイヌの結縄とトッパシロシについては、1739年(元文4年)に坂倉源次郎が著した『北海随筆』や、1808年(文化5年)に最上徳内が著した『渡島筆記』において言及されている。 文字なしといへども、物毎に記憶するは縄を結び置或は木に刻を付置心覚とす。何年過ても此心覚わするゝ事なし。商船蝦夷地へ至りて勘定入事あれば、かの結びたる縄と刻ある木とを取出して去年の事をも審に弁ずるは、結縄の意なるべし。 — 坂倉源次郎、『北海随筆』(『日本庶民生活史料集成』第4巻410頁)より 和人、山丹、オロコの賈人などゝ交易の事にいたりては仮借あり。書契といふことあらねば心記するに過ず、久しきにいたることは縄を結(び)木に刻(む)。縄を結ふはたとえば千に一万に一などいふ心おぼへありてむすび、木に刻は各家伝ありてきざむ。但文字のごとく通用の定製とてはなけれども、己がまゝに作ることにてはなく、旧きならはし従ふものなり。 — 最上徳内、『渡島筆記』(『日本庶民生活史料集成』第4巻528頁)より 古くは同様の記録手段が日本列島全域で用いられていた。中国の正史である『隋書』倭国伝に「文字なし。ただ木を刻み縄を結ぶのみ」とあるほか、日本の史料においても大江匡房が著した『筥崎宮記』に「結縄の政」(-まつりごと)という語が用いられており、また一条兼良が著した『日本書紀纂疏』など中世の文献にも、漢字が伝来する以前は結縄や木を刻む方法が採られていたとする記述が見られる。
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