中国の正史とは? わかりやすく解説

中国の正史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 16:25 UTC 版)

正史」の記事における「中国の正史」の解説

中国では、当初は『春秋』のように編年体史書一般的であったが、司馬遷著した史記以来紀伝体盛んに行われるようになった史記継いで前漢王朝一代歴史書とした班固『漢書』からは王朝ごとに時代区切った紀伝体史書いわゆる断代史」)の体裁流行した。しかし、「史記」「漢書」をはじめ、西晋陳寿書いた『三国志』、宋の范曄書いた『後漢書』沈約書いた『宋書』など、当初紀伝体史書はみな個人の撰であった。 唐に至って歴史書編纂する事業国家事業となり、『晋書』『梁書』陳書』『周書『隋書』などが次々と編纂され、これまでの紀伝体史書のうち史記漢書三国志などとあわせて正史」とした。これらは北朝系譜連なる唐の編纂であるが故に晋朝後継国である南朝よりも、むしろ北朝諸王朝を正統として扱う傾向があったといわれる。こうして唐以降正史王朝支配正統性明らかにする道具となり、王朝成立する滅亡した前王朝の正史編纂させるようになったこのため正確さよりも政治的思惑最優先されて歴史書としての価値大きく損なわれるになった唐代以降は、正史編纂される手法確立される朝廷内で皇帝侍る史官が、皇帝および国家重大事記録する起居注」を蓄積し皇帝崩御すると、代ごとに起居注をまとめた「実録」が編纂される。王朝滅んだ際には次に正統継いだ王朝国家事業として、前王朝の皇帝ごとの実録元に正史編纂する、というのが大まかな手順である。このため、たとえば正史の「明史」よりも「明実録」の方が記録詳細に残されている。史料としては、実録1次史料正史2次史料ということになるが、どちらがより真実に近いかはそれぞれの史料によって異なる。 清のとき、二十四書正史として再度選ばれ、「二十四史」と呼ばれるようになったので、中国の正史といえば普通二十四史を指す。二十四史に、中華民国期編纂された『新元史』や『清史稿』を含めて二十五史」あるいは「二十六史」という呼び方見られるまた、台湾国民政府によって、正史としての清史』(実際は『清史稿』の改訂)が編纂されたが、中華人民共和国政府はこれを認めていない。中華人民共和国国家清史編纂委員会を立ち上げ、独自の『清史』を2002年より編纂中。当初2013年完成予定していたが、内容万全を期すため、完成何度先送りされている。2019年現在原稿完成したが、上級機関による添削受けている途中という。

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