中国の歴史書による記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 04:45 UTC 版)
"辰韓は馬韓の東にある。そこの老人が語るところによれば、その昔、中国の秦国の苦役に服することを嫌って逃亡した流民たちが韓に渡ってきた。馬韓では東の国境地帯の土地を割いてかれらに与え、住まわせた。(『三国志』の「魏書」東夷傳 辰韓条)"とされている。辰韓の言語は馬韓と異なり弁韓と類同し、中国語とも類似していた。『後漢書』弁辰伝によれば弁韓と辰韓は城郭や衣服などは同じだが、言語と風俗は異なっていたとされる。 普通は『三國志』のほうが『後漢書』よりも資料的価値が高いとされるので、岡田英弘は弁韓と辰韓の言語の差は同じ言語の中での方言差とする説を唱えている。南部の弁韓、辰韓には韓人の他にも倭人も居住しており、辰韓や弁韓の言語とされるものは「倭人語」を指している可能性もあり、注意が必要である。
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