資料的価値
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ギルダスの『ブリトン人の没落』は、直接に歴史事項を書かれていたわけではないが、歴史学者から非常に重要なものとしての位置づけをされている。これはこの時代の同時代人の近いブリトン人として書かれた、5世紀、6世紀を記した現存する資料としては唯一のものである。通常この書物が書かれた時代は540年代の内とされていたが、現在ではもっと早い時期のもの、すなわち6世紀初頭以前、の可能性もある事が分かっている。 この書に書かれた描写、国土が侵略者に荒らされ、腐敗、堕落した指導者の無法さといった描写は何世紀もの間学者たちの間で現実にあった事であるとして受け入れられてきた。 後世の人々はこの時代に蛮族がローマ人の築いた文明を侵略、破壊したと当然に思っていたし、またこの時徹底的な破壊がイングランドにロマンス語が根付かなかった理由付けにもなった。すなわちローマの支配を受けていたはずのイングランドがラテン語とは言語学的にそれほど近い関係でない英語を話すようになった理由の説明もできた。しかしながらギルダスがこのように描写した意図として旧約聖書の預言に即して同時代の出来事を書いており、決して後代の資料のために書いたものではなかった事は留意しなければならない。ギルダスはハドリアヌスの長城を記述しているが、非常に不正確な描写をしており、また彼の伝えたい事とは関係ない詳細は記述されてはいない。 そのような短所は見受けられるが、『ブリトン人の没落』は中世の資料としてだけではなく、6世紀から現存しているブリテン島で書かれた数少ない資料としてイングランドの歴史としても重要なものである事には変わりない。 またギルダスは著述の中で、彼の生まれた年にバドン山の戦いが起こったと書いている。カンブリア年代記には彼の死は570年とされている。しかし『ティゲルナッハ年代記(Annales of Tigernach)』には569年となっている。
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資料的価値
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 03:49 UTC 版)
同時代を生きた今川貞世(了俊)は応永9年(1402年)に著わした『難太平記』において内容の誤りを指摘している。ただし、それは、今川が室町幕府の重鎮であったことと関係するのかもしれない。近世では、徳川光圀は『大日本史』において資料としているが、明治の東京大学教授・久米邦武は資料的価値を否定している。たとえば、元弘2年(1332年)楠木正成の下赤坂城の奪還と再挙兵は、『太平記』では4月3日とされているが、一次史料である『楠木合戦注文』では12月中とされているなど、有名なエピソードについても大幅な錯誤があることに留意する必要がある。また、「太平記」にしか記載がないとされている南朝方の武将・児島高徳の実在性を巡って、これを否定する重野安繹と、より慎重な資料批判を求める川田剛(甕江)との間で論争が起こった(重野=進歩的、川田=保守的という思想的対立に理由を求める見方には誤りがある)。近年の批判としては、足利氏一門の研究をしている谷口雄太は、新田氏とその一族が足利氏の一門・庶流であったのは同時代史料から明白であり、新田氏が足利氏から独立した一門であるとしたのは軍記物である『太平記』のみであったにも関わらず、足利と新田を同格と見做す史料的には根拠のない『太平記』史観が広まり、新田氏の庶流と称した徳川氏の天下が終わった明治時代以降にアカデミズムを含めて却ってその傾向が強くなったと指摘している。今日では同時代の日記など他の一級資料と内容を比較することで、歴史的資料として研究されている。
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資料的価値
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:26 UTC 版)
フォッサマグナで知られる新潟県糸魚川市は2009年に日本初の世界ジオパークに認定された。なお、糸魚川静岡構造線については、2020年11月に文化審議会が天然記念物に指定するよう答申した。 1990年に糸魚川市にはフォッサマグナパークが開設されており断層露頭の一部が展示されている。
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資料的価値
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 07:40 UTC 版)
絵巻物については、美術的価値とともに、歴史民俗資料としての価値がある。絵巻物に表された服装、建築、食物、武器武具、調度品等は、古の描いた場合は、時代考証に合わないものもあるが、貴重な視覚情報を提供している。一例として、『信貴山縁起』(12世紀)に登場する東大寺大仏殿の場面は、創建当時の大仏および大仏殿を描いたほとんど唯一の資料である。また、『餓鬼草紙』を見ると、文献資料ではわからない、当時のトイレの様子がわかる。
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