不正確な描写
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 19:34 UTC 版)
ビリー少年のためにワールドシリーズで本塁打を放つ話、連続試合出場の終焉が場内アナウンスを介して発表される場面、改変されたお別れのスピーチの内容のように脚色されている部分もあるが、映画はルー・ゲーリッグの生涯について比較的忠実に再現している。ゲーリッグと彼の両親の強い繋がりを物語る数々のエピソード(母に対する強い献身的な愛、コロンビア大学で料理人として働く母、ゲーリッグにエンジニアになってほしいと願う母、ゲーリッグが大学を中退してヤンキースと契約する原因になった母の病気も含めて)は実話に基づいている。また、映画と同様にゲーリッグは改装を施した二人の新居のアパートで1933年に労働者達の祝福を受けて結婚式を挙げた後、試合に出場するために速やかにその場から立ち去り、ポリスカーに護衛されてヤンキー・スタジアムに直行している。 映画ではゲーリッグが滑らかな放物線を描いてコロンビア大学の運動部の建物内に、窓ガラスを割って飛び込む本塁打をかっ飛ばしているが、実際にはその建物は野球場から遠く離れており、キャンパスの北端に位置している。有名な話として語り継がれているが、これはおそらく作り話ではないかと言われている。 映画の重要な場面の一つとして、医師が事務的に病気の経過に関する暗い見通しから悲劇的な診断をゲーリッグに通知している。実際にはメイヨー・クリニックの医師はエレノアの希望に応じて、ゲーリッグに病状や経過に関する見通しについて期待を持たせるように楽観的に通知している。「今のまま暮らせる可能性は半々で、10年から15年もすれば松葉杖の生活かもしれない」というものだった。特に難病の患者に対して悪い知らせを意図的に隠蔽しようとするのは、当時としては比較的一般的な方法であった。 ヤンキー・スタジアムを描写していると見られる場面は、実際には多くの野球映画の撮影場所として有名な、ロサンゼルスに位置するリグレー・フィールド(シカゴに位置する同名の球場とは別)で撮影されたものであった。
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