くめ‐くにたけ【久米邦武】
くめくにたけ 【久米邦武】
久米邦武
久米邦武
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:09 UTC 版)
久米 邦武(くめ くにたけ、1839年8月19日(天保10年7月11日) - 1931年(昭和6年)2月24日)は、日本の歴史学者[1]。幼名を泰次郎、のち丈一郎。易堂と号す。岩倉使節団に同行し、大書『特命全権大使 米欧回覧実記』を書き上げ東大教授にもなったが、久米邦武筆禍事件で失脚した。
- ^ 朝日日本歴史人物事典「久米邦武」
- ^ 岡田俊裕著『日本地理学人物事典 [ 近代編 1 ] 』 原書房 2011年 34ページ
- ^ 内容構成は、視察日記文を軸とし、歴訪国と首都の「総説」を付けている。訪問しなかったスペインとポルトガルは「略記」を補って全欧州の地理書としている。加えて五巻に及ぶ欧州「総論」を詳述し、それらの自然・人文・社会等の分野にも言及し、充実した欧米地誌に仕上げている。(岡田俊裕著『日本地理学人物事典 [ 近代編 1 ] 』 原書房 2011年 34-35ページ)
- ^ 上杉聰 2018, p. 50.
- ^ 品川人物伝 第30回
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)11頁
- ^ 違和感の日本史 本郷和人
- ^ 『官報』第1952号「叙任及辞令」1889年12月28日。
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