中沢道二とは? わかりやすく解説

なかざわ‐どうに〔なかざはダウニ〕【中沢道二】

読み方:なかざわどうに

[1725〜1803]江戸中期心学者京都の人。名は義道。通称亀屋久兵衛手島堵庵(てじまとあん)に師事江戸に参前舎を開き心学布教つとめた。著「道二翁道話」など。


中沢道二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/07 13:20 UTC 版)

中沢 道二(なかざわ どうに、享保10年8月15日1725年9月21日) - 享和3年6月11日1803年7月29日))は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した石門心学者。道二は号で、名は義道。京都西陣で織職の家の出身で、亀屋久兵衛と称した[1]

一度家業を継いだのち、40歳ごろから手島堵庵に師事して石門心学を学んだ[1]。その後江戸に下り、1779年安永8年)に日本橋塩町に学舎「参前舎」を設け、石門心学の普及に努めた[1]。道二の石門心学は庶民だけでなく、江戸幕府老中松平定信をはじめ、大名などにも広がり、江戸の人足寄場における教諭方も務めている[1]。墓地は世田谷区北烏山(烏山寺町)の妙寿寺にある[1]

脚注

  1. ^ a b c d e 『烏山寺町』42-43頁。

参考文献

  • 世田谷区立郷土資料館『平成二十二年度特別展 烏山寺町』2010年。



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