えまき‐もの〔ヱまき‐〕【絵巻物】
読み方:えまきもの
「絵巻」に同じ。
絵巻物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 07:40 UTC 版)
絵巻物(えまきもの)は、日本の絵画形式の1つで、紙もしくは絹を水平方向につないで、長大な画面を作り、情景や物語などを連続して表現したもの。「絵巻」とも言う。絵画とそれを説明する詞書が交互に現われるものが多いが、絵画のみのものもある。
注釈
- ^ 『鳥獣戯画』4巻のうち、丙丁2巻は鎌倉時代制作と思われる。
- ^ 徳川本は、再修復時に軸装に戻された。“徳川美術館 源氏物語絵巻を修復公開 83年ぶり巻物に” (2018年11月3日). 2020年2月25日閲覧。
出典
絵巻物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 08:07 UTC 版)
『融通念仏縁起絵巻』- 1417年(応永24年)ころ成立。 『福富草子絵巻』 『十二類合戦絵巻』
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絵巻物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)
絵画では、物語や説話を題材に、詞書(ことばがき)を織り交ぜながら場面を展開していく絵巻物という独自の手法があみだされて隆盛した。大和絵の手法によって描かれた絵と詞書とを交互につらね、異時同図法によってあたかも映画を見るようにつぎつぎに展開する画面の連続は、世界の絵画史においても他にほとんど類例をみないきわめて日本的な形態である。 『源氏物語絵巻』は、12世紀前半ころの藤原隆能の筆と伝えられる平安時代の代表的絵巻で、20図が現存している。斜め上方から見下ろした俯瞰描写が多くみられ、「吹抜屋台」「引目鉤鼻」の手法が用いられている。物語の挿絵にとどまらず、人物の心意や場面の情趣をも描いた物語絵巻の傑作である。 『年中行事絵巻』は後白河法皇が常盤光長に描かせたとされる。信西(藤原通憲)が主導した保元年間の大内裏復興、朝儀再興の気運の下に製作が開始されたともいわれている。朝廷の年中行事のほか、鴨川の川原で繰り広げられる飛礫合戦、広場での闘鶏、稲荷祭や今宮祭など当時の庶民の姿も描かれている。原本は失われ、住吉如慶らの模写が残る。 後白河法皇が常盤光長に命じて12世紀後半に完成させた『伴大納言絵巻』は、応天門炎上をめぐる説話を的確な風俗表現で描いた絵巻である。「伴大納言」とは応天門の変にかかわった9世紀の人物伴善男をさしているが、この絵巻は、当時、都でおきた実際の火事に取材しており、院政の舞台となった京都の姿が描写されている。連続的な画面構成と動的な表現に優れる。 12世紀後半の作と考えられる『信貴山縁起絵巻』(奈良県生駒郡、朝護孫子寺蔵)は寺院の創建にまつわる話を絵巻としたもので、信貴山中興の祖とされる命蓮という聖の物語が中心となっている。山崎長者の巻、延喜加持の巻、尼公の巻より成る。命蓮が「飛鉢の法」によって鉢をとばして長者の米倉を信貴山まで運び、人びとが驚いた逸話が特に知られており、動的な線描で庶民の生活や風俗が描かれ、大和絵の特色をよく示している。 12世紀に描かれた、大和文華館(奈良県奈良市)所蔵の『寝覚物語絵巻』は、悲恋の物語を描いたとされる銀箔の美しい絵巻であり、国宝に指定されている。 『地獄草紙』(東博本、奈良博本、ともに国宝)、『餓鬼草紙』(京博本、東博本、ともに国宝)、『病草紙』(京博本=国宝ほか)は、それぞれ、末法思想にもとづいて、地獄の様相や餓鬼のあり様、飢えや病の苦しみを扱った絵巻物である。仏教によれば、人は死ぬと現世の行いにより、天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道のいずれかを輪廻転生するという。餓鬼道、地獄道がどのようなものかを描いた絵巻が、『餓鬼草紙』であり、『地獄草紙』であった。『病草紙』ふくめ、いずれも12世紀後半の作であり、やはり後白河の宮廷から生まれたものといわれている。MIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市)蔵の『沙門地獄草紙』の「解身地獄」は動物を殺し、食した僧が墜ちる地獄で、僧が切り刻まれ、鬼に食われるという、延々と続く地獄を表している。 奈良国立博物館所蔵の『辟邪絵』(へきじゃえ)は、罪人ではなく鬼が責め苦にあう絵巻物で12世紀後半の作である。鍾馗や牛頭天王、毘沙門天などの神々が鬼を懲らしめるもので、そこには中国における悪魔払いの信仰の影響がある。かつては、その怖ろしい描写が地獄を描いた絵巻だと長い間考えられてきた。 これらのなかで、とくに『伴大納言絵巻』と『信貴山縁起絵巻』の両絵巻は都の庶民のみならず地方農村の庶民生活をいきいきと描いており、時代の空気がよく示されている。12世紀の『粉河寺縁起絵巻』もまた、地方社会に生きる人びとが描かれた絵巻である。日本の美術作品で民衆の暮らしぶりが描かれるのは、院政期に始まったこれら絵巻物が最初であり、その意味でも画期的である。 『鳥獣人物戯画』全4巻は、京都市右京区の高山寺に伝わる絵巻で、全編、詞書のない白描画であり、うち甲巻と乙巻は、かえる、うさぎ、さる、きつねなどの動物を擬人化して描き、軽妙な筆致で末法の世相を風刺した異色の絵巻物である。鳥羽僧正覚猷の筆と伝えられてきたが、作風の相違から複数の人物により12世紀中葉から13世紀前葉にかけて作成されたとみられる。「日本最古の漫画」と評価されることも多い。この絵巻からも、遊戯や神事、祭礼や法会など、当時の庶民の生活ぶりや風俗がうかがえる。 『吉備大臣入唐絵巻』は、現在はアメリカのボストン美術館に所蔵されているが、その成立は、平安時代後半の12世紀末頃と考えられ、後白河院のもとで製作された絵巻の一つとされている。 平安後期に流行した文字と絵を組み合わせた装飾的絵模様の一種に芦手絵(あしでえ)がある。 紙本墨書の『芦手絵和漢朗詠集抄』全2巻(京都国立博物館所蔵)は、芦手絵を描いた料紙に『和漢朗詠集』を書写したもので、下巻の奥に「永暦元年四月二日、右筆黷之、司農少卿伊行」とあるところから、永暦元年(1160年)に世尊寺伊行によって書写されたことがわかる。料紙下絵には、群青、緑青、代赭、銀泥などの絵の具を用いて、葦、水鳥、飛鳥、岩、片輪車などの芦手絵が描かれている。
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絵巻物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
院政期につづいて、絵巻物がさかんにつくられ、全盛期をむかえた。戦乱や武士の生活に題材をとったものがあらわれ、寺社の縁起や高僧の伝記、仏教説話などを題材としたものも多く描かれた。後者は、民衆に教えを広めるためにさかんに制作されたもので、社寺への報恩の意味で奉納されたものも多かった。
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