帛書とは? わかりやすく解説

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はく‐しょ【×帛書】

読み方:はくしょ

絹布書いた手紙また、文字書いてある絹布


帛書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/28 07:41 UTC 版)

帛書『黄帝四経』
馬王堆漢墓出土品。発掘1973-1974、埋設は紀元前168年ごろ
馬王堆一号墓出土品 T型帛画
楚墓出土品 人物御竜帛画
出土1973年[1]
帛画『人物竜鳳図』
発掘1949年、製造戦国(紀元前475~前221)[1]
帛書『天文気象雑占』英文ではSilk TextsではなくBook of Silkとしてある。これが文字であるか画であるか意見が分かれた。

帛書(はくしょ)は、古代中国などで製作されたと呼ばれた絹布に書かれた書。絹布に書かれた文字、及び、絹布の両方を指し、文字のみを指す場合は「帛書文字」、書写材料として見た下地については「帛(はく)」、若しくは「絹帛(けんはく)」という。絹帛は「細かく織った絹」を指す[2]

文字ではなく、図が描かれたものは帛画[3]とされ、厳密には区別されるが、稀に一部の帛画も帛書と表記する例も見受けられる。また、英文ではSilk Textsと訳されるが、Book of Silkと記載されるものもある。

現代に於いては、日常生活の中で目にする事は少なく、稀に書道パフォーマンスなどで見ることができる[4]。しかし、特に指定しない場合は、古代中国の古文書としての帛書を指す。

概要

紙発明以前の古代中国で文字筆記媒体として発明された。主に発掘されているものでは春秋戦国時代から代までのものが出土しており、中国研究者の馬衡は著書『中国書籍制度変遷之研究』にて「絹帛は、前五~四世紀から五~六世紀頃まで。竹簡・木簡は、上古から三~四世紀頃まで。紙は、前二世紀から現代まで。」と推定使用年代を述べている[5]

出土数から同時期に筆記媒体として使われた竹簡木簡に比べて少なかったと推察されている。

竹簡・木簡に比べて、下面が絹であるが故に美しく仕上がり、また、重量も軽く薄く作れる為に体積も圧縮でき、運搬上に於いて有利である[6]。しかし、短所として、耐水、耐腐食、耐虫性能は落ち、長期間の保存には竹簡・木簡よりも劣り、長年の保存で場合により文字が上下の布で転写して文字が読みにくくなっている事も多い。人民中国記事には20片以上に千切れた帛画が閲覧でき[3]この様に細切れになったものも相当あって『養生方』は、復元内容に誤りが指摘されている[7]。また、太陽光や紫外線が含まれる蛍光灯等に対する耐光性にも難点があり、長時間さらされると絹部分が黄色く変色しやすく、発掘された帛書においても白地が黄色く変色しているものが多い。コストの点で比較すると、比較的低価格、或いは少ない製作手順で準備できる竹簡・木簡に比べて、大幅なコスト増、及び手間増となる。その為、竹簡・木簡に比べて、更に希少品として扱われていた可能性が高い。ただし、歴史に名を残すことを「名を竹帛に垂れる」とする言葉が残っていることから、帛書自体は古代において比較的よく知られていた可能性もある。

腐敗腐食しやすいため長期保管に難があり、多くは失われたが地層に防腐剤同等の天然素材が存在した地域が存在し、近年それらの地から多数出土している。地質的な特性(防腐剤含有地質)から楚国の出土品が多く、著名なものでは1934年に湖南省長沙市の子弾庫楚墓から出土した、或いは1942年9月に湖南省長沙で盗掘[8]された楚帛書中国語版、及び、1972年以降に馬王堆漢墓から出土した馬王堆帛書が存在する。特に1973年12月から翌1974年にかけて、馬王堆漢墓3号から帛書が大量に出土した。それまで世界最古の針灸書とされた黄帝内経より、更に古い時代と推定される針灸医書とされ、これら馬王堆帛書には「足臂十一脈灸経中国語版」「陰陽十一脈灸経中国語版甲本」「脈法」「陰陽脈死候」「五十二病方中国語版」と名付けられており、この分野の世界最古を更新した。ただし、絹布が重なっている状態で文字同士が自然転写[7]しており、文字解釈には異論も出ている。(そのため学術ベースの出版等が遅れている)

戦国時代から漢代初期にかけて流行した道家の一学派の思想である黄老思想の帛書『黄帝四経』も出土し、貴重な文献となっている。

また、馬王堆漢墓3号からは、3種類の老子道徳経が発見されており、便宜上、老子乙本、甲本と名付けられた発見は研究者に衝撃を与えて[9]、現在に伝わる老子道徳経と差異が研究対象となっている(老子#馬王堆・郭店の発掘書) また、中国の書道史から見ても、書体変遷において貴重な資料となっている。(中国の書道史#馬王堆帛書参照)

また、馬王堆帛書の『天文気象雑占英語版』は朱墨で点・線引などがなされており、更には文字以外にも太陽と思われる絵画も書かれている[10]。帛書の解読には日本人研究者の協力も多く、『天文気象雑占』には武田時昌、宮島一彦[10]、医書関連は、小曽戸洋ら数多くの日本人研究者が参与している。なお、この天文気象雑占は、図であるか文字であるか見解が別れ議論が起き未だに決着を見ないが、図(帛画)ではなく文字(帛書)に分類する方が僅かに多い。

世界最古の星表を記したされる紀元前4世紀頃の甘徳は、多くの著作が失われているとされてきたが、馬王堆漢墓に副葬された帛書には天文に関する記録「五星占」が発掘されており、甘徳らが作成した『甘石星経』と類似しており、関連が研究されている(甘徳の項目参照)。

竹簡木簡を合わせて簡牘と呼び、簡牘と帛書を合わせて「簡帛中国語版」とも呼ぶが、日本語での使用例は少ない。 また、日本においても、は、絵画を描くキャンバスとして使われており、日本画が書き入れられた絹布を絹本(けんぽん)、書き入れる布地を絹地(きぬじ)と呼び、美術品として使用されているが、文字を書き入れる帛書とは利用目的が違う。

なお、李氏朝鮮時代の黄嗣永が1801年に帛書に書いた書を押収されており、近年においても稀に使用されていたと推測される。現在でも布書き用に製作された特殊墨汁を帛書墨と呼び、種類・発売メーカーは少ないながらも製作されている[11]が、実際には絹布にはあまり使われず、専らTシャツや横断幕用墨汁として販売されており[12]、ほぼ帛書の筆記自体は行われていないが、2016年3月にはかながわ書道まつりにて「龍敬」と帛書を表した書道パフォーマンスが公開された[4]。また、2016年11月23日には、台湾と中国の両岸にて、同一始祖である神農を祭るイベントにて帛書が使用された例もある[13]。尚、帛書の中でも特に価値が高いものとされるのは、楚帛書や馬王堆帛書などの考古学的帛書であり、帛書に言及される際は、古代中国での資料としての帛書を指す事が多い。

著名な帛書

古代中国の帛書

名称 年代 出土地 出土(発見)時期 収蔵者 数量 内容
子弾庫帛書[注釈 1] 戦国 湖南省長沙市 1942年9月(一説には1930年代) サックラーギャラリー(本体と残片)[15]湖南博物院(残片)[16] 四時令、五行令、攻守占、その他残片、商承祚蔵の残片[15]
肩水金関帛書 前漢 甘粛省酒泉地区エジン旗 1973年 甘粛省博物館 1枚 「張掖都尉棨信」[17]
馬王堆帛書 前漢 湖南省長沙市馬王堆漢墓 1973年12月 湖南博物院 周易経伝、喪服図、春秋事語、戦国縦横家書、老子甲本、五行、九主、九主図、明君、徳聖、経法、十六経、称、道原、老子乙本、物則有形図、五星占、天文気象雑占

刑徳甲篇、刑徳乙篇、刑徳丙篇、陰陽五行甲篇、陰陽五行乙篇、出行占、木人占、相馬経、宅位宅形吉凶図、足臂十一脈灸経、陰陽十一脈灸経甲本、脈法、陰陽脈死候、五十二病方

去谷食気、陰陽十一脈灸経乙本、導引図、養生方、房内記、療射工毒方、胎産書、太一祝図、卦象図、地形図、箭道封域図、府宅図、居葬図、宅位草図

馬圏湾帛書 甘粛省酒泉地区敦煌県 1979年9月 甘粛簡牘博物館 1枚 「尹逢深中殽左長傳一帛一匹四百卅乙株帀十月丁酉亭長延壽都吏稚釳」[18]
懸泉置帛書 甘粛省酒泉地区敦煌市 1990年10月-1992年12月 甘粛簡牘博物館 10枚 私人の手紙[19]
駱駝城帛書 魏晋 甘粛省張掖地区高台県 1998年-2001年 高台県博物館 2枚[20] 未公表

日本の帛書

その他の帛書

  • 黄嗣永帛書 - バチカン法王庁文書庫所蔵[21][22]

関連著作物

  • 『馬王堆簡帛文字編』 陳松長 編著 文物出版社 2001.6(中国語)
  • 『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』 (中国語)
  • 『簡牘帛書通仮字字典』 白於蘭編著 福建人民出版社(中国語)
  • 『簡牘帛書字典』 陳建貢編纂 上海書画出版 1991 [23](中国語)
  • 『馬王堆帛書精選』 毎日新聞社
  • 『五十二病方 馬王堆出土文献訳注叢書』 小曽戸洋、町泉寿郎、長谷部英一 著 馬王堆出土文献訳注叢書編集委員会編集
  • 『馬王堆漢墓帛書五行篇研究』 汲古書院 池田知久
  • 『馬王堆三号漢墓帛書「老子」乙本と巻前古佚書』 田中有 東洋書道協会発刊「書品」(雑誌掲載) [24]
  • 『「長沙子弾庫帛書」に見られる「神」の役割について』 高戸 聰 集刊東洋学(東北大学中国文史哲研究会)[25]

脚注

脚注

  1. ^ 楚帛書や楚絵書ともいう[14]

出典

  1. ^ a b 死後の世界への想像かき立てる 帛画 人物竜鳳図人民中国
  2. ^ 襖と障子の伝統文化 1)紙の発明とその伝播(一)紙以前の紙佐野晃夫
  3. ^ a b 馬王堆(下): 古代思想を知る手がかり帛画と帛書人民中国2010年12月21日記事(閲覧2016年11月27日)
  4. ^ a b 第10回記念かながわ書道まつり(かながわ書道まつり実行委員会、毎日新聞社主催)毎日新聞 地方版 2016年3月25日記事(2016年11月27日閲覧、要ログイン)
  5. ^ 文房四宝11遠藤昌弘著作選
  6. ^ 紙が生まれる前新生紙パルプ商事
  7. ^ a b 馬王堆医書『養生方』の再検討日本医史学雑誌 第50巻第1号(2004)天野陽介・宮川浩也・花輪壽彦
  8. ^ 中國出土資料学会 2003年度大会 (1)学術報告 Ⅰ 子弾庫楚帛書の資料的性格について早稲田大学 森和
  9. ^ 馬王堆出土文献訳注叢書 最新刊『戦国縦横家書』〔第七回配本〕東方書店
  10. ^ a b 帛書《天文気象雑占》研究三題武漢大学(中国語)
  11. ^ 帛書墨開明墨汁
  12. ^ 布に書ける特濃墨【帛書墨】(大筆書道パフォーマンス)
  13. ^ 兩岸同胞齊聚湖南炎陵 祭拜中華始祖神農大帝今日新聞(中国語)
  14. ^ 池澤優「子弾庫楚帛書辺文訳註」『東京大学宗教学年報』第21号、東京大学宗教学研究室、2003年、103-128頁、ISSN 02896400NAID 40006456429 
  15. ^ a b 李零 (2017年10月20日). “七読子弾庫帛書”. chis.cssn.cn. 中国社会科学網. 2018年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月12日閲覧。
  16. ^ 商志(香覃) (1992). “記商承祚教授蔵長沙子弾庫楚国残帛書”. 文物 (11): 32-33,35+98+102. doi:10.13619/j.cnki.cn11-1532/k.1992.11.005. http://kns.cnki.net/KCMS/detail/detail.aspx?dbcode=CJFQ&dbname=CJFD9093&filename=WENW199211004&v=MjE5NDhZT1JvRnkvaFVMM1BNaWpGZWJLeEY5UE5ybzlGWUlSOGVYMUx1eFlTN0RoMVQzcVRyV00xRnJDVVJMS2Y=. 
  17. ^ 初仕賓 任歩雲 (1978). “居延漢代遺址的発掘和新出土的簡冊文物”. 文物 (01): 1-25+98-104. doi:10.13619/j.cnki.cn11-1532/k.1978.01.001. http://kns.cnki.net/KCMS/detail/detail.aspx?dbcode=CJFQ&dbname=CJFD7984&filename=WENW197801000&uid=WEEvREcwSlJHSldRa1FhdkJkVWEyZnAxS2hOckUxL2wraHowTDYwU0RLWT0=$9A4hF_YAuvQ5obgVAqNKPCYcEjKensW4IQMovwHtwkF4VYPoHbKxJw!!&v=MjgxODFyQ1VSTEtlWitkb0ZpamtXN3JPTWlqRmViS3hHZG5Ncm85RlpJUjhlWDFMdXhZUzdEaDFUM3FUcldNMUY=. 
  18. ^ 白軍鵬 (2018). 敦煌漢簡校釈. 上海古籍出版社. pp. 8. ISBN 978-7-5325-8673-8 
  19. ^ 何双全 (2000). “甘粛敦煌漢代懸泉置遺址発掘簡報”. 文物 (05): 4-20+97+2+1. doi:10.13619/j.cnki.cn11-1532/k.2000.05.001. http://kns.cnki.net/KCMS/detail/detail.aspx?dbcode=CJFQ&dbname=CJFD2000&filename=WENW200005000&v=MzEzNTRxVHJXTTFGckNVUkxLZVorZHZGaW5rVmJ2SU1pakZlYkc0SHRITXFvOUZaSVI4ZVgxTHV4WVM3RGgxVDM=. 
  20. ^ 趙雪野 趙万鈞 (2008). “甘粛高台魏晋墓墓券及所渉及的神祇和卜宅図”. 考古与文物 (01): 85-90. http://kns.cnki.net/KCMS/detail/detail.aspx?dbcode=CJFQ&dbname=CJFD2008&filename=KGYW200801016&uid=WEEvREcwSlJHSldRa1FhdkJkVWEyZnA3Y2lraHliTVNDTEQ1aGxSMUp3RT0=$9A4hF_YAuvQ5obgVAqNKPCYcEjKensW4IQMovwHtwkF4VYPoHbKxJw!!&v=MDI1NzZXNy9KTGlyU2ViRzRIdG5Ncm85RVlvUjhlWDFMdXhZUzdEaDFUM3FUcldNMUZyQ1VSTEtlWitkbUZDcm4=. 
  21. ^ 韓国天主教230年史、「カトリックの心臓」バチカン美術館に展示東亜日報2016年6月2日記事(閲覧2016年11月28日)
  22. ^ ローマ法王庁古文書館所蔵黄嗣永帛書の研究山口正之 全国書房 1964
  23. ^ 簡牘帛書字典中国書籍ネット書店 書虫
  24. ^ 馬王堆三号漢墓帛書「老子」乙本と巻前古佚書田中有 東洋書道協会発刊「書品」]国立国会図書館サーチ
  25. ^ 『「長沙子弾庫帛書」に見られる「神」の役割について』 高戸 聰 集刊東洋学(東北大学中国文史哲研究会)国立国会図書館サーチ

関連項目

外部リンク


帛書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 14:35 UTC 版)

馬王堆漢墓」の記事における「帛書」の解説

馬王堆帛書」および「帛書」も参照 3号墓から発見された帛書の内容は、戦国時代から前漢初期までの政治・軍事思想・文化科学など多岐分野にわたり、また多く佚書未知系統テキスト発見された点からも、高い学術的価値を持つ。 帛書の大部分朱砂で幅 0.7-0.8 センチメートル罫線引いたのちに墨書されているが、罫が無いものも一部ある。字体篆書隷書があり、篆書写本は前196年高祖11年)頃、隷書写本は前180年文帝初年)頃に行なわれと見られる。書の技巧的品質ばらつきがあることから、同一人物一度書いたものではないと考えられる内容12万字余にのぼり多くには篇題が無かったが、復元整理結果おおよそ28篇が含まれていると考えられた。それらは『漢書』芸文志図書分類法に従って次のように分類された。 六芸 - 『周易』、『喪服図』、『春秋事語』『戦国縦横家書』 諸子 - 『老子』甲本、『九主図』、『黄帝書』『老子』乙本 兵書 - 『刑徳』甲本、『刑徳』乙本、『刑徳』丙本 数術 - 『五星占』『天文気象雑占』『式法』『隷書陰陽五行』、『木人占』、『符籙』、『神図』、『築城図』、『園寝図』、『相馬経』 方術 - 『五十二病方』、『胎産図』、『養生図』、『雑療方』、『導引図』 地図 - 『長沙国南部図』『駐軍図』 『周易』と『老子』以外は多く古代佚書であり、伝来している書についても篇名や字句相違多く歴史学哲学文字学訓詁学音韻学など多方面に多く研究資料提供した。また古代史記述は古籍の校勘根拠となりうるものである。 以下、主要な帛書について詳述する『周易』周易六十四卦』 - 『易経』の経にあたる部分全体上下篇に分かれておらず、また伝来テキスト諸書引用され今文テキスト古文テキスト王弼本と対校すると、卦名・卦序・爻辞異なる。卦序の構成原理が単純であり、かなり早い時期テキストと見られる。 『繋辞伝』 - 今本繋辞伝』に一致する記述が多いが、章節順序文字異同見られ、また今本『説卦伝』の前三節加わっている。 巻後佚書五篇 - 『要』、『繆和』、『昭力』、『二三子問』、『易之義』の5篇。卦辞爻辞象徴する意味について、孔子弟子議論する様子を記す。 『春秋事語』 16章からなる隠公弑殺事件から晋の智氏滅亡に至るまでの春秋時代故事物語を扱う。人物の発言記録重点置かれ、一章につき一つトピック扱い国史編年体体裁とらない内容大部分字句相違はあるものの『春秋三伝『国語』見られるものだが、今まで知られていなかった事柄一部含まれる中国語版ウィキソースに本記事関連した原文あります戦国縦横家『戦国縦横家書』 27からなる。うち11章内容は、戦国時代における縦横家たちの言説集であり、現存の『戦国策』と『史記』にもほぼ同じ文章表現見られるのである残り16章佚文であり、主に蘇秦遊説活動について記している。 中国語版ウィキソースに本記事関連した原文あります老子 (帛書本) 『老子』甲本 『老子』甲本 - 現行本とは逆に、「徳経」が「道経」の前に置かれている。章や段の区切り円点施されているが、現行本のそれとはかなり異なる。 巻後佚書四篇 - 『五行』は思孟学派子思孟子を代表とする儒家思想)による五行説仁義礼智聖の徳目に関する学説)を説く。『九主』は伊尹君主を9類型分けて論ずる。『明君』は戦争攻撃防御について主に論じる。『徳聖』は五行と徳、聖、智の関係について論じる。 『黄帝書』 『老子』乙本の巻前に置かれていた、四篇からなる佚書である。いずれも当初からの篇名を有し内容および書写当時歴史的背景踏まえ一括して『黄帝書』黄帝四経)と名付けられた。 『経法』 - 「刑名」の思想黄老思想)について論じる。 『十六経』 - 黄帝臣下問答形式を取る小篇多く、「刑名ならびに陰陽刑徳」について論じる。 『称』 - 格言類する語句集め内容的には前2篇と同体系に属する。 『道原』 - 道の性質本源論じるが、「刑名」の説ともある程度関連がある。 『老子』乙本 甲本同様、「徳経」が「道経」の前に置かれている。また章分けがされていない甲本と乙本を比較すると、章の順序基本的に一致するが、わずかな違い見られる現行本、甲本、乙本の三者比較すると、それぞれ字句相違見られる。 『刑徳』甲本、乙本、丙本 兵陰陽家属す内容であり、数種類式盤図を含む。丙本で四神言及するくだりは『礼記曲礼上の記述と似る。 『五星占』 天文星占に関する佚書であり、本来の篇名は不明。占辞の各所甘徳と石申(中国語版)からの引用見られ、特に前者が多い。五星運行記録したものとしては、中国現存する最古のものであり、篇の末尾には前246年-前177年70年にわたる木星土星金星位置記され、またこれら3星の会周期における動き記録されている。これらは古天文学にとって貴重な資料となっている。 『天文気象雑占』 天文気象に関する占いの書であり、本来の篇名は不明350余条の占い記され全体にわたり気象による占い中心だが、彗星や星の運行など天文現象による占い見られる彗星の形を描いた図としては、世界で最も古いものである『式法』 かつては篆書陰陽五行』と名付けられていた。破損断裂著しく2006年時点でまだ整理修復終了していない。『天一』、『徙』、『天地』、『上朔』、『祭』、『式図』、『刑日』など7つ部分含み、『式図』には式盤図が見られる『隷書陰陽五行』 内容の一部上の『式法』に近いが、他に兵陰陽家主張見られる『相馬経』 隷書体書かれた5,200字ほどの佚書今本『相馬経』とは全く内容異なる。 『五十二病方』 中国発見され最古医方書であり、本来の篇名は不明佚書『五十二病方』 - あわせて52標題疾病名・外傷名)がつけられ各々治療のための処方記されている。挙げられている病名100種を超え、それらは内科外科産婦人科小児科精神科に至るまで多岐にわたる処方の数は283方を数え、それらは薬物によるもの中心とし、ほか外科療法として薬物塗布入浴燻蒸局部温熱療法鍼灸按摩・角(瀉血のための吸いふくべの原初形式)、石針による治療切開手術見られる。 巻前佚書四篇 - 『足臂十一脈灸経』、『陰陽十一脈灸経』、『脈経』、『陰陽脈死候』の4篇。各々その内容に基づき篇名が付けられた。前2篇は人体11脈(経絡)の走向経路、それに関する病気、および灸による治療法を記す。後2篇は脈に基づいた病気徴候診断について論じる。 『胎産図』、『養生図』、『雑療方』 いずれも佚書であり、本来の篇名は不明『導引図』0.5メートル長さ1.4メートルの帛に絵と文字描かれている。 『導引図』 - 長さ1メートルにわたる部分44種類運動図(縦4列、横11種)が黒の輪郭、・褐・藍・墨ベタ塗り描かれている。各図には、術(姿態)の名称、効果があるとされる病名模写している動物名使用器具名などが添えられている。これらは道家思想に基づく修練の術、中国最古体育療法の図であり、気功療法ルーツといえるまた、張家山漢簡導引書『引書』とともに最古導引文献とされる。 巻前佚書二篇 - 『却穀食気』は「穀物避け気を食らう」、すなわち気功による健康法を記す。『陰陽十一脈灸経』は『五十二病方』巻前佚書のものと同内容であり、両者甲本・乙本として区別される『長沙国南部図』 長沙国南部地形記し現在の湖南省南部瀟水流域その周辺にあたる。幅50センチメートルの帛を2枚つなぎ合わせた一辺96センチメートル正方形で、縮尺17-19分の1。描写中心となる部分では精度高く河川屈曲おおむね現在のもの一致する『駐軍図』 湖南省最南部、江華県沱江流域上記『長沙国南部図』東南部一角)にあたる。縦98センチメートル、横78センチメートル縮尺8-10分の1。黒・紅・靛(濃青)の三色使い河川山脈を薄い色で、軍の駐屯地防衛境界線を濃い色で描いている。加えて里の名と戸数廃村しきもの示され当時聚落実態を知る貴重な資料である。

※この「帛書」の解説は、「馬王堆漢墓」の解説の一部です。
「帛書」を含む「馬王堆漢墓」の記事については、「馬王堆漢墓」の概要を参照ください。

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