永田英正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 04:39 UTC 版)
人物情報 | |
---|---|
生誕 | 1933年10月![]() |
死没 | 2024年12月16日(91歳没) |
出身校 | 京都大学文学部 |
学問 | |
研究分野 | 東洋史 |
研究機関 | 京都大学、富山大学、滋賀大学、京都女子大学 |
指導教員 | 森鹿三、宮崎市定 |
学位 | 文学博士 |
称号 | 従四位 瑞宝中綬章 |
主な受賞歴 | 鳥取県文化功労賞 |
永田 英正(ながた ひでまさ、1933年10月 - 2024年12月16日)は、日本の東洋史学者。位階は従四位。京都大学名誉教授。
経歴
1933年、鳥取県倉吉市で生まれた。鳥取県立倉吉高等学校を卒業後、1953年に京都大学文学部へ入学。東洋史学科で秦漢史を専攻した。1957年に京都大学を卒業。同大学大学院に進んで、簡牘の整理と研究にあたるようになった[1]。1962年3月に博士課程を単位取得後中退。
1962年4月に京都大学人文科学研究所助手に採用。1972年に講師、1973年に助教授昇格。1975年、富山大学人文学部教授に就任。1981年には滋賀大学教授、1990年には京都大学文学部教授となった。同年9月、学位論文『居延漢簡の古文書学的研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得[2]。1997年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は京都女子大学教授として教鞭をとり、2002年に退任。
2024年12月16日、老衰のため死去[3]。91歳没。死没日付をもって従四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された[4]。
受賞・栄典
- 2013年:平成25年度鳥取県文化功労賞[5]
研究内容・業績
専門は秦漢史。居延漢簡など出土文献の調査を藤枝晃、米田賢次郎[6]らと進めた。簡牘研究を始めた経緯は「簡牘研究事始の記」に詳しく、まずは1960年頃より人文科学研究所の『後漢書語彙集成』に関わり、翌年マイケル・ローウェが森鹿三を指導教授として京都へ滞在したことから、居延漢簡の整理にあたった[7]。
著作
- 著書
- 共書
- 『中国文明の成立』 松丸道雄 講談社 1985
- 編著
- 『アジアの歴史と文化』1 中国史 古代(編), 同朋舎出版 1994
- 『漢代石刻集成』(京都大学人文科学研究所研究報告)(編)同朋舎出版 1994
- 訳書
参考文献
脚注
- ^ 「簡牘研究事始の記」『日本秦漢史研究』11, 2011年
- ^ CiNii(学位論文)
- ^ “永田英正さん死去(京都大名誉教授)”. 時事ドットコム (2024年12月17日). 2024年12月17日閲覧。
- ^ 『官報』第1390号7・8頁 令和7年1月23日
- ^ 受賞記念巡回展
- ^ 元滋賀大学・佛教大学教授
- ^ 籾山明2014「日本における居延漢簡研究の回顧と展望-古文書学的研究を中心に-」『文献と遺物の境界II』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所に居延漢簡輪読会のメンバーと写る写真がある。
- 永田英正のページへのリンク