孫臏兵法
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孫臏兵法 | |
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![]() 『孫臏兵法』の竹簡(再現展示) | |
作製年代 | 前漢・元光元年(前134年)-元狩5年(前118年) |
発見年月 | 1972年4月 |
出土地 |
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所蔵者 | 山東博物館 |
釈文 | 銀雀山漢墓竹簡整理小組編『銀雀山漢墓竹簡(貳)』文物出版社、2010年。 |
図版 | 同上 |
資料データ | |
種別 | 竹簡 |
数量 | 440枚 |
内容 | 孫臏による兵法書全30篇 |
『孫臏兵法』(そんぴんへいほう)は、中国の戦国時代の斉の軍師孫臏が著したとされる兵法書。
発掘の経緯
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1972年4月、中華人民共和国の山東省において、漢代の墓が二つ並んで発掘された。ただちに山東省博物館から来た専門家が検証した。後に銀雀山漢墓群と称されるようになるこの現場で発掘された、竹簡形式の多数の書物の中で竹簡孫子に『孫臏兵法』が発見された。書物と同時に発掘された古銭の形状、および同時に発掘された漢武帝元光元年暦譜から、年代がおおよそ紀元前134年-紀元前118年と推定された。
これまで、有名な『孫子』の兵法書について孫武が著したという説と孫臏が著したという説が対立していたが、この『孫臏兵法』が発見されたことにより、孫臏の著書は『孫臏兵法』だから『孫子』の著者は孫武であるという説が有力になった。ただし、いずれの書も後世の仮託である可能性が残る。 440枚、全30篇に分かれており、原文では内21篇に篇名が明記されている。
釈文・訳注
- 銀雀山漢墓竹簡整理小組編『銀雀山漢墓竹簡(貳)』文物出版社、2010年。ISBN 9787501017409。
- 石井真美子・村田進・山内貴『銀雀山漢墓竹簡(貳) 論政論兵之類 譯注』朋友書店、2021年。ISBN 9784892811883。
- 金谷治訳注『孫臏兵法-もうひとつの孫子』[1]ちくま学芸文庫、2008年。ISBN 9784480091789。
- 村山孚訳『孫臏兵法』「現代人の古典シリーズ」徳間書店、1981年。銀雀山漢墓竹簡整理小組 編
脚注
- ^ 元版は、金谷治訳註『孫臏兵法-銀雀山漢墓竹簡』銀雀山漢墓竹簡整理小組 編、東方書店、1976年。図版多数
関連項目
外部リンク
- 孫ヒン兵法 - 中国兵法 - ウェイバックマシン(2019年3月31日アーカイブ分)『孫臏兵法』翻訳
- 孫ヒン兵法 - 兵書を見る - 中国兵法 - ウェイバックマシン(2019年3月31日アーカイブ分) (PDF)
孫臏兵法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:15 UTC 版)
孫臏は孫武と同じく兵法書を著したが、彼の兵法は孫武の『孫子』と区別して『斉孫子』などと呼ばれていたらしい。しかしながら、次第に散逸し、あるいは現存する『孫子』自体が孫臏の著作ではないかとも推定されていたが、1972年に至って山東省で孫臏の著した兵法書の竹簡孫子が発掘されたことにより、『孫子』の著者ではないことが明らかになった。この新出土の兵法書は『孫臏兵法』と名づけられている。
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