孫臏兵法とは? わかりやすく解説

孫臏兵法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 01:01 UTC 版)

孫臏兵法
『孫臏兵法』の竹簡(再現展示)
作製年代 前漢元光元年(前134年)-元狩5年(前118年
発見年月 1972年4月
出土地 中国 山東省臨沂県 銀雀山漢墓1号墓
所蔵者 山東博物館中国語版
釈文 銀雀山漢墓竹簡整理小組編『銀雀山漢墓竹簡(貳)』文物出版社、2010年。 
図版 同上
資料データ
種別 竹簡
数量 440枚
内容 孫臏による兵法書全30篇
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孫臏兵法』(そんぴんへいほう)は、中国戦国時代軍師孫臏が著したとされる兵法書。

発掘の経緯

1972年4月、中華人民共和国山東省において、漢代の墓が二つ並んで発掘された。ただちに山東省博物館中国語版から来た専門家が検証した。後に銀雀山漢墓群と称されるようになるこの現場で発掘された、竹簡形式の多数の書物の中で竹簡孫子に『孫臏兵法』が発見された。書物と同時に発掘された古銭の形状、および同時に発掘された漢武帝元光元年暦譜から、年代がおおよそ紀元前134年-紀元前118年と推定された。

これまで、有名な『孫子』の兵法書について孫武が著したという説と孫臏が著したという説が対立していたが、この『孫臏兵法』が発見されたことにより、孫臏の著書は『孫臏兵法』だから『孫子』の著者は孫武であるという説が有力になった。ただし、いずれの書も後世の仮託である可能性が残る。 440枚、全30篇に分かれており、原文では内21篇に篇名が明記されている。

釈文・訳注

脚注

  1. ^ 元版は、金谷治訳註『孫臏兵法-銀雀山漢墓竹簡』銀雀山漢墓竹簡整理小組 編、東方書店、1976年。図版多数

関連項目

外部リンク



孫臏兵法

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孫臏」の記事における「孫臏兵法」の解説

孫臏孫武同じく兵法書著したが、彼の兵法孫武『孫子』区別して斉孫子』などと呼ばれてたらしいしかしながら次第散逸し、あるいは現存する『孫子』自体孫臏著作ではないかとも推定されていたが、1972年至って山東省孫臏著した兵法書竹簡孫子発掘されたことにより、『孫子』著者ではないことが明らかになった。この新出土の兵法書は『孫臏兵法』と名づけられている。

※この「孫臏兵法」の解説は、「孫臏」の解説の一部です。
「孫臏兵法」を含む「孫臏」の記事については、「孫臏」の概要を参照ください。

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