スヴェン・ヘディンとは? わかりやすく解説

スヴェン・ヘディン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 05:30 UTC 版)

スヴェン・ヘディン
生誕 1865年2月19日
スウェーデン ストックホルム
死没 (1952-11-26) 1952年11月26日(87歳没)
 スウェーデン ストックホルム
職業 地理学者、探検家
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スヴェン・アンダシュ(アンデシュ)・ヘディンスウェーデン語: Sven Anders Hedin, 1865年2月19日1952年11月26日)は、スウェーデン地理学者中央アジア探検家

人物・生涯

ストックホルムで建築業を営む中流家庭に生まれ、小学校の同級生には経済学者グスタフ・カッセル数学者イヴァル・フレドホルムなどがいた。1902年貴族に列せられ、1909年イギリスより“ナイト”の称号を得る。

ヘディンが踏査したルート(1886 - 1935)

1879年に出版されたロシア帝国の外交団が1876年から77年にカシュガル地域を訪れた際の報告書である『カシュガリア』に影響を受けて冒険家を志す。著者は外交団の一員であり、後にロシア満州軍総司令官として日露戦争で指揮を執ることになるアレクセイ・クロパトキンであった。ヘディン自身も1890年にクロパトキンの下を訪問している。

『カシュガリア』の出版とほぼ同時期だったアドルフ・エリク・ノルデンショルド北東航路の発見に感銘を受け、生涯師事した。ベルリン大学シルクロードの提唱者として知られるリヒトホーフェンの指導をうけて中央アジア探検を決意し、ペルシアメソポタミアに旅行(1885年86年)。

スウェーデン王オスカル2世がペルシアに派遣した使節団の一員としてメルヴブハラサマルカンド、カシュガルなどを旅行(1890年91年)。

ロシアのオレンブルクからウラル山脈を越え、パミール高原タクラマカン砂漠南辺、ツァイダム青海からオルドスを横断、張家口を経て北京に到着(1893年97年)。

1899年から1902年にかけて、タリム盆地および中部チベット湖沼地方の北部を探検した。その間、1900年に古代都市楼蘭の遺跡と干上がったロプノールの湖床を発見し、よく知られている「さまよえる湖」説を唱えるに至った。多くの文書・遺物を取得してカラコルム山脈を越え、レーカシュミールに出て、再びカラコルム峠を越えてカシュガルに至り、フェルガナアンディジャンに到着、ロシア経由で帰国した。

1905年、ペルシアからインドに入り、レーから西北チベットに侵入、中央チベット湖沼地帯を探検してインダス川サトレジ川(インダス川支流)、ブラマプトラ川ガンジス川支流)の水源地方を調査。シガツェに至ってパンチェン・ラマの歓迎を受けた。サトレジ川の河源およびヒマラヤ山脈の北にあってこれと平行し、カラコルム山脈に連なる山脈を発見し、これをトランス・ヒマラヤ英語版と名づけた。カイラス山へも訪れたが、チベット人に入山を禁じられている。これらの成功は、パトロンであるロシア皇帝ニコライ2世との個人的な友情なしには成功はなしえなかった。また、ノーベル家の援助も受け、その関わりは生涯に渡った。他に大谷探検隊で知られ、浄土真宗本願寺派法主も務めた大谷光瑞からの援助も受けていた[1]

1908年に帰国。1927年西北科学考査団: The Sino-Swedish Expedition)を組織し、スウェーデン・ドイツ・中国の学者の協力による大規模な探検を行い、東は東蒙古の熱河地帯から西は新疆省東トルキスタン)を越えてペルシアにおよび、南はチベット北部から北は天山に至る地域について地理、考古、生物、民族、人類学など広範囲な部門について研究を行った。新疆省の政治上の悪化と第二次世界大戦の勃発によってその予定は完全には実現されなかった。

1934年にロプノールの復活を自らの目で確かめた後、1935年に帰国したが、途上立ち寄ったドイツアドルフ・ヒトラーの歓待(ヘディンはナチス党員ではなかったが、チベットに興味を持ち、自分の偉業を正当に評価してくれるヒトラーと親密になった)を受け、その後数回にわたってナチス幹部と接触を持ち[注 1]、自国に対するドイツの動向を探った。このコネクションを使い、ユダヤ人やナチス・ドイツに占領されたノルウェーのレジスタンス活動家を救い出したこともあった。なおヘディンは、16分の1でユダヤ人の血筋(ヘディンを貶める巧妙な告発であったが、自身はこれを誇りであると偏見誹謗を一蹴した)を引いていたが、新聞紙上で台頭期のナチスを礼賛したこともあった。

これらの行動が原因で、第二次世界大戦後スウェーデン国内でヘディンは「ナチス・ドイツに協力した人物」として厳しく批判された。

1952年、ヘディンはストックホルムで没した。没する直前まで、探検に関する著述活動を行っていた。

ストックホルムの民族学博物館スウェーデン語版英語版に、ヘディンに関するライブラリーが併設され、蔵書には彼の収集した古文書や彼自身の著作物が含まれている[2]。また、ウプサラ大学スウェーデン自然歴史博物館に於いても彼の探検に関する事績や採集した鉱石等が保存されている[3][4]

日本との関わり

著作

主なもの
  • Hedin, Sven: Die geographisch-wissenschaftlichen Ergebnisse meiner Reisen in Zentralasien 1894–97 (Ergänzungsband 28 zu Petermanns Mitteilungen), Gotha 1900.
  • Scientific result of a journey in Central Asis:6巻(1899 - 1902年)・地図2巻(1904 - 07年)
  • Southern Tibet, discoveres in former times compared with my own researches of 1906-1908,:9巻・地図2巻(1917 - 22年)
  • History of the expedition in Asia 1927-1935:4巻(1943 - 45年)

日本語訳

1964年以降の主な出版。以下は白水社で刊行された全集。

ヘディン中央アジア探検紀行全集(全9作品・全11巻)

深田久弥[6]榎一雄監修、東洋文庫協力、1964-66年。

底本となる原書は1924年に執筆、翌25年に"My Life as an Explorer"の題で出版した。

ヘディン探検紀行全集(全13作品・全17巻)

深田久弥、榎一雄、長澤和俊監修、1978年9月-1980年1月。上記〈ヘディン中央アジア探検紀行全集〉(以下は〈中央アジア探検〉で略記)の全9作を新装再刊、新訳・4作品(※)を加えた全集。
新装再刊版は末尾に再刊を、下記の〈スウェン・ヘディン探検記〉(以下は〈探検記〉で略記)で未再刊のものは末尾に未再刊を、明記した。

  • 第1巻※『ペルシアから中央アジアへ』 金森誠也訳、1978年。ISBN 4560030510。後年の〈探検記〉では未再刊。
  • 第2-3巻『アジアの砂漠を越えて』(上・下)横川文雄訳、1979年。ISBN 4560030529ISBN 4560030537。〈中央アジア探検〉を再刊。
  • 第4巻『チベットの冒険』鈴木武樹訳、1979年。ISBN 4560030545。〈中央アジア探検〉を再刊。
  • 第5-6巻※『陸路インドへ』(上・下)羽鳥重雄訳、1979年。ISBN 4560030553ISBN 4560030561。下記〈探検記〉では未再刊。
  • 第7-8巻『トランスヒマラヤ』(上・下)青木秀男訳、1979年。ISBN 456003057XISBN 4560030588全国書誌番号: 79022215。〈中央アジア探検〉を再刊。
  • 第9巻『ゴビ砂漠横断』羽鳥重雄訳、1979年。ISBN 4560030596全国書誌番号: 79032082。〈中央アジア探検〉を再刊。
  • 第10巻『ゴビ砂漠の謎』福田宏年訳、1979年。ISBN 456003060X。〈中央アジア探検〉を再刊。下記〈探検記〉では未再刊。
  • 第11巻※『熱河 : 皇帝の都』 斎藤明子訳、1978年。ISBN 4560030618。下記〈探検記〉では未再刊。
  • 第12巻『戦乱の西域を行く』宮原朗訳、1979年。全国書誌番号: 80028529。〈中央アジア探検〉を再刊。
  • 第13巻『シルクロード』西義之訳、1978年。全国書誌番号: 79005483。〈中央アジア探検〉を再刊。
  • 第14巻『さまよえる湖』[注 2]関楠生訳、1978年。ISBN 4560030642。〈中央アジア探検〉を再刊。
  • 第15巻『探検家としてのわが生涯』山口四郎訳、1979年。ISBN 4560030650。〈中央アジア探検〉の再刊。下記〈探検記〉では未再刊で、1997年に単行版で新装復刊。
  • 別巻1-2巻※『カラコルム探検史』(上・下)、水野勉、雁部貞夫訳、1979-1980年。ISBN 4560030669ISBN 4560030677。下記〈探検記〉では未再刊。

スウェン・ヘディン探検記(全7作品・全9巻)

カバー装、全作品が既刊全集よりの再々刊、1988-89年。

単行本・文庫ほか

白水社、および白水社版を底本に他社での文庫再刊(上記の全集版も含む)

白水社以外の別訳版

版元・訳者が異なる

受賞歴

脚注

注釈

  1. ^ 金子民雄 (1986)に詳しい。
  2. ^ a b c d e f g 原書の題は"Den Vandrande Sjön"。最も多く日本語訳書が刊行された[7][8](1937年、 OCLC 7198535)。

出典

  1. ^ a b 白須淨眞 2014.
  2. ^ Bibliotekets samlingar — Etnografiskamuseet(スウェーデン語)(英語)
  3. ^ Sven Hedin - Naturhistoriska riksmuseet(スウェーデン語) - 自然歴史博物館 (スウェーデン)ウェブサイト>スヴェン・ヘディンの岩石コレクション
  4. ^ Sven Hedin - Naturhistoriska riksmuseet(英語)
  5. ^ Nomination Database(英語)
  6. ^ 担当解説は『深田久彌 山の文学全集11 中央アジア探検史』に再録。朝日新聞社、1974年
  7. ^ Den Vandrande Sjön : vol.1 / 1 ページ(カラー画像) < 『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ < 国立情報学研究所 - ディジタル・シルクロード・プロジェクト
  8. ^ 中央アジア自動車横断 - ジョルジュ・ル・フェーヴル, 野沢協, 宮前勝利, 山田周生 - Google ブックス
  9. ^ Medals and Awards, Gold Medal Recipients” (PDF). Royal Geographical Society. 2016年11月25日閲覧。

参考文献

  • 金子民雄『ヘディン伝 偉大なシルクロードの探検者』新人物往来社、1980年。 ISBN 4404003587 
    • 金子民雄『ヘディン伝 偉大なシルクロードの探検者』中央公論社〈中公文庫〉、1989年。 ISBN 4122015812 
  • 金子民雄『ヘディン 人と旅』白水社、1982年。 ISBN 4560029865 
  • 金子民雄『秘められたベルリン使節 ヘディンのナチ・ドイツ日記』胡桃書房、1986年。 ISBN 4795289581 
    • 金子民雄『秘められたベルリン使節 ヘディンのナチ・ドイツ日記』中央公論社〈中公文庫〉、1990年。 ISBN 4122017416 
  • 白須淨眞『大谷光瑞とスヴェン・ヘディン』勉誠出版、2014年。 ISBN 4585220968 

関連項目

外部リンク


スヴェン・ヘディン (19世紀後半から20世紀前半の探検家、考古学者)

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ウプサラ」の記事における「スヴェン・ヘディン (19世紀後半から20世紀前半探検家考古学者)」の解説

ロプノール楼蘭への到達などで知られる探検家ウプサラ大学学んだ

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