錦絵新聞
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錦絵新聞(にしきえしんぶん)とは、日本の明治初期の数年間に発行されていた視覚的ニュース・メディア[1]で、一つの新聞記事を浮世絵の一種である錦絵一枚[2]で絵説きしたもの。グラフィックとしての錦絵に着目して新聞錦絵と呼ばれることもある[3]。
- ^ 『大阪の錦絵新聞』12ページ。
- ^ 錦絵とは浮世絵版画の中でも最も成熟した形式で、複数の色版の重ねずりにより錦のように美しい彩色が可能な版画である。
- ^ 小野秀雄は「錦絵新聞」「新聞錦絵」の両方を使い分けた。高橋克彦はほぼ一貫して「新聞錦絵」の語を用いている。
- ^ 『大阪の錦絵新聞』13ページ。
- ^ 土屋礼子は『大阪の錦絵新聞』19ページで原秀成の論文「新聞錦絵と錦絵新聞—その出版状況と構造の変化—」(『年報・近代日本研究・12 近代日本と情報』1990年)における推測「明治7年8月」を紹介。
- ^ 高橋克彦は『新聞錦絵の世界』(1986年)22ページで7月としている。
- ^ 落合芳幾は浮世絵師であると同時に、複数の新聞創刊にも参画した新聞人でもある。
- ^ 小林忠・大久保純一『浮世絵の鑑賞基礎知識』110ページ。
- ^ 『幕末・明治のメディア展』41ページ。
- ^ a b 『幕末・明治のメディア展』52ページ。
- ^ 『大阪の錦絵新聞』64ページ。
- ^ 『大阪の錦絵新聞』巻末資料には、東京日日新聞110部以上、郵便報知新聞60部以上、錦画百事新聞180部以上がリストされている。
- ^ 『明治のジャーナリズム精神』143ページ。
- ^ 『大阪の錦絵新聞』24ページ。
- ^ 『大阪の錦絵新聞』68ページ
- ^ 『文明開化の錦絵新聞‐東京日々新聞・郵便報知新聞全作品‐』6頁。
- ^ 『大阪の錦絵新聞』67-74ページ。
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