大阪の錦絵新聞
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大阪や京都でも錦絵新聞は発行された。大阪では日刊紙が定着していなかったこともあり、東京の錦絵新聞よりもニュース媒体としてもっと大きな役割を果たした。B5大の中判が主である。 絵師としては、二代長谷川貞信と笹木芳瀧、笹木芳光、柳桜茂広が複数の錦絵新聞にかかわるほか、二代木下広信、後藤芳景、鈴木雷斎、玉亭芳峰など。 「大阪錦画新聞」 「大阪錦絵新聞」 「大阪錦画新話」 「大阪新聞錦画」 「大阪日々新聞」 「大阪日々新聞紙」 「大阪錦画日々新聞紙」 「日々新聞」 「新聞図解」 「郵便報知新聞錦画」 「錦画百事新聞」 - 大阪で最も多数発行された錦絵新聞。1875年9月から1876年9月の間に190号を数えた。長谷川貞信ら 「勧善懲悪錦画新聞」 「有のそのまま」 - 西南戦争もの 「鹿児島県まことの電知」 - 西南戦争もの 「浪花珍聞」 - 西南戦争もの 「有たそのまま」 「錦画新聞」 - 縮小版
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