大阪の景浦家・桂木家
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「あぶさんの登場人物」の記事における「大阪の景浦家・桂木家」の解説
景浦 安武(かげうら やすたけ) 北明高校 - 野花食品 - 北大阪電気 - 南海・ダイエー・ソフトバンク(1973年 - 2009年) 当作品の主人公。福岡ソフトバンクホークスの元外野手。詳細は景浦安武を参照。 景浦 サチ子(かげうら さちこ) 安武の妻。居酒屋「大虎」の看板娘。旧姓:桂木。身長163cm。生年月日不詳だが、安武が南海に入団した1973年に18歳であったことから、8歳年下と考えると1954年度生まれとなる。 生まれて直ぐに母を亡くす。会った人間(老若男女・国籍問わず)が十人中十人「あぶさんの奥さん、美人ですね」と言うほどの美人だが気が強く、情に厚く、涙もろい。生まれた際、虎次郎は「美人(みと)」と名付けようとしたが、結局サチ子という名前になった。 初登場時(18歳)から安武一筋。彼が南海に入団する際は「契約金でツケを返されたら、この店(と自分)との縁が切れてしまう」と嘆き、虎次郎の機転でツケの受け取りを拒否した。独身の頃は(景浦似の)人気カメラマンに一目ぼれされるなど、結構いろいろな男からモーションをかけられているが全て礼節をもって断っている。安武との間には1男(景虎)1女(夏子)をもうけている。基本的に大阪弁で話すが、舞などが来た時などは標準語で話す。 安武との経緯については、高校時代に女友達らと共にハンカチを落として声をかけてもらえるかどうかのターゲットに安武がされたという話があり、後のデートの際になんば花月に出向いてコメディNo.1らの漫才を鑑賞している話がある。 お洒落をすればかなり見栄えのする外見になるが、普段は化粧も控えめ、服も地味なもので、あくまで居酒屋「大虎」の看板娘として振る舞っている。贅沢は好まず、かといって必要以上にケチらず、夫である安武を支え続ける賢婦である。 少々のことでは動じないが、安武が頭部に死球を受けた際には、試合のあった釧路まで空路で一直線に向かったこともある。 小室等のファンだったことがあり、小室に手製の人形を贈ったことがある。 景浦 景虎(かげうら かげとら) むらさき幼稚園 - なにわ小 - なにわ中 - 浪花一番星学園高校 - 近鉄(2000年 - 2004年) - オリックス(2005年 - 2006年) - 阪神(2007年 - 2008年) - ソフトバンク(2009年 - ) 安武とサチ子の長男。福岡ソフトバンクホークスの投手。左投左打。1981年12月17日生まれ(誕生日は安武と同じ)。その誕生から彼を主軸に据えたエピソードも多い。 誕生祝いに訪れた当時の阪神・小津正次郎社長(当時)、祖父・虎次郎の密約で左利きに育てられる(小津本人とキャッチボールをしたこともある)。 幼稚園時代から腕白そのもので、犬と喧嘩をしたこともある。卒園式では代表として挨拶をした。なにわ小学校からは最初、隣の校区の小学校に押し込もうと画策されたことがあるほどのやんちゃぶり。幼少期には安武の考えから、大阪から東京回りで新潟まで一人で旅行したこともある。 最初はサッカーに夢中という描写もあったのだが、父・安武に甲子園球場に高校野球観戦に連れられて行った際、開会式の入場行進を見て涙を流して以来、本格的に野球に目覚め、翌年の甲子園、更にそのすぐあとにボンと行った大阪スタヂアムの近鉄vsダイエー戦で野球への思いを更に募らせる。 小学校時代までは安武を「パパ」と呼んでいたが、1994年元日に「投げ初め・打ち初め」と称して安武と対決したことを機に、安武を「おやじ」と呼ぶようになる。 小学生時代から少年野球チームに加入し、上級生用のユニホームがピッタリなほどの規格外の体格で、試合で登板すれば、ノーヒットで抑えて当たり前というほどのずば抜けた野球の実力に加え、安武の息子という話題性から小中高と常に注目を浴び、なにわ中学校3年(1996年11月、当時14歳)時に父と同じ福岡ダイエーホークスからドラフト3位で指名される。野球選手としての実力が評価されたのは言うまでもないが、その時は自身は入団を熱望したものの、父からは反対された。そして父の練習(素振り)の様子を見て思い直し、その後「大虎」にダイエーへの入団挨拶に訪れた井口資仁のアドバイスなどもあり入団しなかった。 なお、中学校時代にカーブを習得している。これについては、当時西武への移籍が決まったばかりの橋本武広から教えを請おうとしたところ、橋本から中学3年まで待つように言われ、別の機会に大虎に来た西武の工藤公康からは「君の投げ方なら橋本のカーブより、自分のカーブの方が合っている」と言われており、その後、甲子園で高校野球の投手がカーブを投げるのを目の当たりにしたり、カーブを交えた投球術についてダイエーのスタッフから話を聞いたことから投球術としてカーブを投じる必要性を認識し、本を読んだのをきっかけに独力で(親友の栗田三吉の助力を仰ぎつつ)カーブを習得したという描写がされている。ただ、当初は速球に自信を持つあまり、カーブを投げることを良しとしない(カーブを投げると速球の威力が落ちるという)考え方だった。初めて投じたカーブは信じ難い曲がり方をした。以降この二種のボールのみで投球を続け(直球をコース別に投げ分ける技能も持ち合わせる)、プロ入り後にはフォークを習得している。大リーグのスカウト、マイケルに興味を持たれ、中学生当時に父・安武共々誘われたこともある。 その後地元大阪の一番星学園高校(後述の大山哲矢が監督)に入学し、野球に関しては当初まったくの無名高ながら春・夏の甲子園大会に5度出場して、2度優勝(2年時夏と3年時春)した。当初は哲矢から登板機会を敢えて与えられなかったが、その後機会を与えられ開花。更にその後は主将も務めるなど大活躍する。その頃になると子どもの頃のお山の大将的な性格は影を潜め、仲間を思いやれるような精神的な成長も見られるようになった(それこそが安武らが高校進学を勧めた理由でもある)。 高校卒業後、父とのプレーを望みダイエーへの入団を熱望するが、1999年のドラフトで5球団(阪神・中日・西武・近鉄、そしてダイエー)からの指名を受け、抽選によって大阪近鉄バファローズが指名権を獲得。当たりくじを引いた梨田監督の様子を見て感じ入り、すんなり入団を決断する。球団からは鈴木啓示の永久欠番である背番号1を与えられる。2000年に新人王を獲得。父からは放任教育だったが、プロ入り後の度重なる対戦によって打者としての父を知ることとなる。150km/hを超える剛速球と前述のカーブを武器に好成績をあげ、2000年に1年目で初出場したオールスターでは江夏豊以来となる9連続奪三振を達成している。その後、2003年のオールスターでも9連続三振を達成。2001年にはダイエー戦でノーヒットノーランを達成。この間には不調に陥り(同時に慢心や増長を戒める意味で)2軍行きを命じられたこともある。 2004年シーズンオフ、選手分配ドラフトでオリックス・バファローズに移籍。2005年にはソフトバンク戦(大阪ドーム)で日本球界史上最速の163km/hの剛速球を投げた。オリックスでの背番号は01。 2006年シーズンオフ、ランディ広岡とのトレードで阪神タイガースに移籍。阪神での背番号はオリックス時代と同様に01。 2008年シーズン前、婚約者の舞と結婚。オフにはFAを行使してシアトル・マリナーズへの移籍を固めていたが、父の現役続行を聞くと迷わず一転、ホークス入りを決めた。その直後に舞が第一子を出産、その時刻が日付も含めて「1」のゾロ目だったことからホークスでの背番号も01に決まった。 父・安武は名前は「上杉謙信の幼名からとった」としているが、正確には「景虎」は謙信の幼名ではなく将軍・足利義輝から「輝虎」の名を貰うまでの諱で、謙信の幼名は「虎千代」。上杉姓を名乗るまでの長尾景虎が正しい。 女性とは、舞と結婚するまでにさほど縁があったわけではなく、幼少期の宮本沙織(故人。後述)、プロ入り後の石井姉妹(後述)とのエピソードが少し描かれた程度であった。ただ、ガールフレンドがいなかったわけではないらしく、舞の写真を見せられた際には、「俺は(恋人を)選ぶ段階」と口にしたこともある。自動車の運転免許を所持しており、夏子を乗せて自家用車を運転する様子も描かれた。 基本的に大阪弁で話すが、まれに標準語(べらんめえ口調)が混じる。非常に男気にあふれた明るく直情的な性格で、父の安武は野球人として尊敬の対象であるとともに常に目の前に立ちふさがり、乗り越えるべき最強の好敵手でもあった。時折打者としての父を自分の理想に当てはめようとするあまり、その理想と合致しない行動を取る父・安武に不満を漏らすこともあった。同時にバッテリーを組んだこともある叔父の満のことも尊敬しており、その現役引退には理解を示した。 父の引退後もエース級投手としてソフトバンクを引っ張ってきたが、2012年シーズン中に肩を故障し、安武や満の薦めもあり、打者への転向を決断。翌2013年開幕から代打及び指名打者として一軍に定着している。 景浦 舞(かげうら まい) 景虎の妻。大手建設会社「秋葉建設」の社長・連太朗の孫娘。旧姓:秋葉。父母のうち、父・谷川愼は舞が幼い頃、舞を置いて出て行ったが、結婚に際して舞に手紙を託した。 基本的に丁寧な語調で話すが大阪弁も使えるため、「大虎」の常連客ともあっという間になじんだ。大会社の令嬢だが、気取ったところはなく親しみやすい性格。普段はおしとやかだが、酒が入るとやや大胆な性格になる。2008年11月、長男の小虎を出産。 秋葉 連太朗(あきば れんたろう) 舞の祖父。大手建設会社「秋葉建設」社長。娘の夫・谷川愼に社長を継がせるはずだったが、愼が出て行ってしまったため、舞の夫となる人物に期待しようとする。そのため、景虎にも同じことを期待するが、景虎の人柄に触れて考えを改めた。景虎に出会うまでは野球音痴で乗馬が趣味だったが、安武や景虎の試合を観戦したり、小虎が大きくなった時の為にキャッチボールの練習をするなど野球に興味を持つようになる。右目に眼帯をしている。ひ孫の小虎に甘い。 景浦 夏子(かげうら なつこ) 安武とサチ子の長女で景虎の妹。1984年8月12日生まれ。母親に似て美人。 中学2年の時、大阪の芸能プロダクションである淀プロダクションにスカウトされるが、スカウトマン・水上清は安武の娘とは知らずにスカウトしている。その後、プロダクション側も安武の娘だと知ることになるが、純粋に夏子と言う少女の才能に惚れ込む。その後、両親も娘の芸能界入りを快く認め、モデル等で活動。実は子どものころからその素地はあり、幼少期にひまわり娘なるものに選ばれ、写真家の浅井の手による写真が撮られて発表された。東京ドームの場内広告看板に顔が出たこともある。また、始球式で安武相手にボールを投じたこともあり、その際には安武が「俺、何『家庭的』やってるんだ?」とぼやいた。また、安武の3000試合出場の際には記念の花束のプレゼンターを務めたこともある。幼少期にピアノを習っていたことがあり、習字もうまい。一方で、6歳のころに野球(安武の試合)観戦に行った時、飛んできたファウルボールを飛びついて素手でキャッチしようとしたこともある。後年では新垣渚に惚れられたことがある。 高校3年になり、東京に出てタレントになるかそのまま淀プロに所属するか悩む事になるが、最終的には大阪に残り大学に進学しつつ、淀プロでタレントとして活動する事を決める。その後人気急上昇に伴い、大学卒業後は東京に転居することになった。その際、安武を含む一家総出でCM出演している。その後、芦沢孝介と結婚して引退、夫婦でたこ焼き屋「童」を営む。 芦沢 孝介(あしざわ こうすけ) 夏子の夫。初登場時24歳。その2年前に父親が他界し、大学卒業と同時に父親が経営していたたこ焼き屋「童」を継ぐ。夏子がふとしたことで来店したことで知り合う。母と二人暮らし。デートの回数は少ないが、夏子が「童」にしょっちゅう来店していた。 桂木 虎次郎(かつらぎ とらじろう) サチ子の父。通天閣の見える大阪の下町「ほとけ横丁」で居酒屋「大虎」を営む。1925年12月14日生まれ。25巻第9章「立てば歩めの」では「虎之介」と名前を誤記されたことがある。 妻に先立たれ、男手ひとつで娘・サチ子を育て上げた。妻の死後、一時はあとを追って自殺を考えたこともあるが、思い止まる。生粋のタイガースファン(特に田淵幸一ファン)で、試合の勝敗によってメニューの割引が行われる。大虎の常連となった安武を気に入り、安武とサチ子の仲が進展するようにさまざまな策を練っていた。安武のことを独身の時は「あぶ」と呼び、サチ子と結婚してからは「ムコ殿」と呼んでいる(ただし、安武が実際に桂木家に婿入りしたわけではない)。逆に安武からは独身時代は「おやじさん」「おじさん」、サチ子との結婚後は「お義父さん」などと呼ばれる。 安武のことはサチ子との結婚前から、単なる飲み屋の店主と常連との関係以上に息子同然に気にかけてきている。安武が初の三冠王になろうかという時期には、高槻にある父親の墓所に参ったり、果ては倉敷まで出向いて「三冠」という銘柄の酒を手に入れてきたりして、檄を飛ばすなどしている。安武もまたそうした虎次郎の気遣いを有り難く思っており、サチ子と結婚した際に越したマンションに虎次郎の部屋を確保したり、一度出て行ってしまったお千代さん(佐山千代。後述)を説得して連れ戻したりしている。 景虎が産まれてからは孫バカで、一時近鉄・オリックスファンにもなっていた。以前は田淵幸一が西武へトレードされた際に餞別として彼自身から贈られたタイガースのユニフォームをよく着ていた(田淵の来店時などに何故か着込んでいることがあった)。また、店内の壁には田淵にサインを大書してもらったこともある。 安武が石井早希によってファッションモデルとして雑誌に掲載されたあと、自分も新たな気分になるべく店を大改装(1987年開幕時)。キャバレーのような電飾看板を取り付ける。自身もサングラスにオーバーオールというナウい出で立ちになり、周りを仰天させた。現在は景虎と同じ球団(近鉄・オリックス・阪神・ソフトバンク)のユニフォームを着ていることが多い。一方、夏子の誕生に際しては、「虎子」や「鷹子」など5通りの名前候補を考えていた。 1985年の阪神優勝を機に店の名を「大虎」から「大鷹」に変えようとするが、阪神タイガース・小津前球団社長(当時)の説得で思い止まる。小津とはほかにも景虎を左利きに育てるよう約束するなどしている。 長らく亡くなった前妻一筋だったが、サチ子が連れてきたお千代さんに一目惚れしており、観劇や果てはハワイ旅行までするほどの仲となる。お千代さんが一度帰ってしまった時には、目も当てられないほど落ち込んでいたことがある。
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