大阪の疎開道路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 06:35 UTC 版)
現在の大阪市道上新庄生野線の内、東成区中道(森ノ宮公団住宅前交差点)から生野区林寺2丁目交差点までのことを指す。 この区間は当初、大阪市の第三次都市計画事業街路中道桑津線(幅員11m)として、昭和12年3月に認可を受けて計画されたものの、既に住宅密集地となっており用地買収には難渋が予想され、手付かずであった。 しかし、第二次世界大戦中の1944年2月末より、この計画をそのまま転用して防火空地帯として建物が強制的に疎開され、道路として供用されることになった。その工事は、戦時中ということもありかなり急速に進展したようで、1944年3月末に開始した撤去工事が5月10日には完成している。 「大阪市道上新庄生野線」を参照
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