大阪の町屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 05:51 UTC 版)
大阪の町屋は京都とほぼ同じ形式であったが、通り土間型以外にも前土間型・切り土間型・裏土間型など多様な類型が存在していた。裏土間型は長屋形式のものが多く、大阪で大量に建設された借家建築の存在を示唆している。江戸や京都でも多くの借家が建てられたが、居住者の回転が速い大阪では、地借りの多い江戸とは異なる独特の借家文化を形成していた。 自らは借家に居住して町屋敷経営を行う家主が少なからず存在し、借家に住むことは必ずしも階層の格差を示すものではなかった。また、町屋の建具を取り払った状態で借り主に貸す「裸貸(はだかがし)」と呼ばれるシステムが早くから成立し、現在のスケルトン・インフィルのような、建築の軀体と中身を分離してフレキシブルに建築を転用する方法がすでに近世でみられていた。 また大阪では京都に比べて近世を通じて同業者町が多かったことも特徴で、道修町・桝屋町など同業者の店が建ち並ぶ景観も大阪特有のものであった。
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