独身時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:30 UTC 版)
壱岐島で生活していた幼少期、慣れ親しむ牛や鶏に申し訳なく思い、肉類は一切口にしなかった。家族で壱岐の郷土料理「ひきとおし」を囲む夕食時には手を付けず、かといって家族談笑の席を離れることや食事の好き嫌いを言うことは許されなかったので、後ほど離れた部屋にて独り、ご飯と卵1個で夕食を取っていた。 就学前に外で父親と勘違いして、同じような格好をした見知らぬ男性に話しかけていた。彼は資産家ながら子がおらず、隆子の親しみ深い話しぶりに感激し、養女にもらいたいと妻を連れて自宅を訪れる。その話を父親からされた隆子は「お父さんも、一緒と? お父さんと一緒なら、私、どこへでも行くよ」と答え、その後きょうだいの中でも、特に父親からの愛情を受けるようになったという。 自宅での酒席で、隆子は玉子料理を運ぶ手伝いをしていた。料理の乗った盆を持ち上げ、父たちの座敷に入った瞬間、足を滑らせて玉子をこぼし、張り替えたばかりの青畳を汚してしまった。涙をこらえて謝る隆子を見て、父親は咎めることなく母親に隆子の分の玉子料理も作ってやるよう頼む。できあがったら、父親は笑みを浮かべて「熱いから慌てずにゆっくりおあがり」と声をかけた。この父の処し方に触れ、隆子は感涙にむせんだ。 短大入学当初は寮に入っていたが、2回生になると同時に退寮し、北白川に下宿を借りて結婚するまで居住した。冷蔵庫は持っていなかったが、近所の商店が午前9時に開くため、食材調達に困らず自炊していた。 仁鶴からプロポーズされるまで、口を開けて噛んだりすすったり、口の周りが汚れたりするのを他の男性に見られることを嫌い、男性の前ではお茶やお酒は飲んでも、食事は一緒にしないことをモットーにしていた。
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