キャバレー【(フランス)cabaret】
キャバレー
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 05:09 UTC 版)
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キャバレー(仏: cabaret[† 1][† 2])とは、ダンスやコメディショーなどパフォーマンスをする舞台のあるレストランやナイトクラブのことである[1]。
フランス
語源はオランダの「カブレット」と同じフランス語圏内のピカール方言である「カンブレット」と諸説あり、はっきりしていない。当初は「小部屋」と意味合いで使用されていたが、その小部屋で酒がよく飲まれていたことから、居酒屋の意味するものに変わっていく。パリのモンマルトル界隈ではかつて19世紀の1881年に、ロドルフ・サリスによって開設され、伝説的な隆盛を見せた「ル・シャ・ノワール (黒猫)」と呼ばれるキャバレーがあり、エリック・サティやパブロ・ピカソなど、モンマルトルに住む名だたる芸術家たちの若き日の溜まり場となった。現在も「オ・ラパン・アジル」をはじめ、ピアノやアコーディオンなどの伴奏によるレトロなシャンソンを聴かせる往時の雰囲気を残すいくつかの小さなキャバレー(シャンソニエ)がある。
同様にパリ郊外の川沿いにはギャンゲットと呼ばれるレストラン兼ダンスホールがあり、19世紀から続いている。現在も年輩者をはじめ多くのパリ市民に親しまれている休日午後の娯楽となっている。
パリにはまた一方でムーラン・ルージュやリド、クレイジーホースなどのいわゆる高級キャバレーもあり、こちらは大規模な店内でトップレスの女性が舞台上でスペクタクルを繰り広げる(ただし決して卑猥なストリップショーではない)のが特徴である。歴史的にはフレンチカンカンが展開されたことでも有名である。
ドイツ語圏
ドイツ語圏におけるカバレット(独: das Kabarett)はニュアンスがやや違ってくる。オーストリアではカバレーという。カバレットとは、ドイツ語圏において、文学的なバラエティー・ショーのことである。シャンソン(カバレット・リート)を聞かせたり、寸劇・演芸を見せたりする場所であり、およびその作品のことでもある。その時の政治や政治家の言葉を比喩するカバレット(カバレー)も多い。
日本の「キャバレー」
日本における「キャバレー」は、本項とは異なったものとなっている。
また日本の風俗営業法での「キャバレー」は、ナイトクラブとは明確に別種として定義されている。
主なカバレティスト
- カール・ファルカシュ
- ヴェルナー・フィンク
- エーリッヒ・ケストナー
- クラウス・マン
- ユーラ・ゾイファー
- クルト・トゥホルスキー
- カール・ヴァレンティン
- クレーレ・ヴァルドルフ
- ヘルムート・クヴァルティンガー
- ヨーゼフ・ハーダー
ギャラリー - キャバレーの花形達
脚注
注釈
- ^ フランス語発音: [kabarɛ] カバレ、パリ周辺の発音:[kabaʁɛ] キャバレ
- ^ イギリス英語発音:[ˈkæbəreɪ] キャバレイ、アメリカ英語発音:[ˌkæbəˈreɪ] キャバレイ
関連項目
- 『キャバレー』- 第二次世界大戦前のベルリンのキャバレーを舞台にしたミュージカル映画。
- 『ムーラン・ルージュ』- ムーラン・ルージュを舞台にしたミュージカル映画。
- ミュージックホール
- バーレスク
- キャバレー (接待飲食店)
外部リンク
- 高松平藏 (1999年6月9日). “ドイツの『寄席』、10周年を迎える : カバレットについて”. Interlocal journal. 2005年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年11月3日閲覧。
キャバレー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:15 UTC 版)
ユメノクニ1950年千日前・大阪歌舞伎座5階に開店したアルバイトサロン。元々は歌舞伎座観客用の大食堂。終戦直後の1945年10月、6階のアイススケート場が占領軍向けの慰安所に改装された。慰安所とはキャバレーの事であり、内務省の通達で「占領軍向け慰安施設の設置」が出されて、全国各地でこのような施設が設置された。大阪でも特殊慰安所施設協会が設立され、会長に松竹・千土地副社長の白井信太郎が就任したため、大阪歌舞伎座に白羽の矢が立ったのである。この慰安所は「ドリームランド」と名付けられ、朝鮮戦争勃発まで営業された。この慰安所の閉鎖と前後して、慰安所と同じ大阪歌舞伎座の5階に開業したのが「ユメノクニ」であった。同店は一説にはアルバイトサロンの嚆矢とされている。なお、アルバイトサロンとは酒場であり、飲食店の一種で、現在のキャバクラに相当。一般的にはアルサロと略された。ホステスはアルバイトで公募していたため、学生や会社員、人妻が多かった。(他説によればアルサロの第一号は「大劇サロン」(大阪劇場地下遊技場跡)とも言われる。いずれにしても千土地の経営であることに変わりはない。)チップ制の廃止や明朗会計等クリーンなイメージを打ち出した反面、暗い照明で怪しげな雰囲気も醸し出していた。これは顧客を失望させない演出でもあったが、ホステスの中には会社員も多く、バレないための工夫だったとも言える。歌舞伎座改装時に向かいのアシベ劇場内に移転。1990年アシベ劇場取り壊しのため閉鎖された。接客用のキャッチコピー(表看板や新聞広告などで発表)が独特であった。これらのコピーは支配人を務めた磯田敏夫(織田作之助の門人で作家でもあった。)のアイデアだった。
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