少年野球チーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:04 UTC 版)
沙知代はかつて、少年野球チーム(リトルシニア)「港東ムース」(後に解散)のオーナーを務めていた。港東ムースには、三冠王・野村克也の指導を受けられるという触れ込みに惹かれて優秀な野球少年が集まり、その中からは紀田彰一、G.G.佐藤ら、後にプロ野球選手となった者もいた。ごく短い期間だが井端弘和も在籍していた。 沙知代は自著で「トーナメントの間中、選手たちを怒鳴りまくって励まし、怒鳴ると同時に彼らを殴っていた」と述べ、G.G.佐藤について取材を受けた際にも「日本一になったときのメンバーですから、そりゃあもう、かわいがりましたよ。張り飛ばして、ぶっ飛ばして育てたんですから」とコメントするなど、所属する少年たちへの暴力行為を自認していた。克也との共著では「愛情と情熱がなければ、人の子どもなど殴れるはずがないのです。『暴』という字は罪悪です。おそらく地方予選を勝ち抜いて甲子園に出てくるような選手たちで、監督やコーチに殴られていない者は一人もいないと思います」と述べており、マスコミもこうした沙知代のやり方を「熱血指導」として好意的に紹介していた。 ケニーは、後に自身の妻となった女性の息子がかつて同チームを退団し、その後の野球人生を沙知代に潰されたことを自著で明らかにしており、これはその後の親子絶縁の一因ともなった。また、2001年(平成13年)に発覚した脱税事件では、沙知代が親らから集めた金を所得申告していなかったことも指摘されている。
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