2000年 - 2004年
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「平城・相楽ニュータウン」の記事における「2000年 - 2004年」の解説
2000年(平成12年) 3月27日 - つなねが竣工・正式引き渡し。 3月 - つなね入居開始。 4月 - つなねの完工式が行われる。 7月16日 - 奈良交通が、高の原駅-光台8丁目-高の原駅間の高の原光台線の運行を開始。 11月 - 徳念寺 相楽台本堂が落成。 2001年(平成13年) 6月17日 - 午後3時40分頃、相楽西配水池で緊急遮断弁が作動し、兜台3-5丁目約1000世帯が約1時間にわたって断水。 11月 - ハイタッチ・リサーチパーク総合事務局が廃止され、来期から積水ハウスへ委託することが決定。 2002年(平成14年) 1月 - 協同組合ハイタッチ・リサーチパークが京都府や木津町に対して用途地域の変更要望事項を提出。 3月 - ハイタッチ・リサーチパーク西ゾーンの一部および東ゾーン、北ゾーンの一部を木津町に寄付することを協同組合ハイタッチ・リサーチパーク組合員が承認。 5月1日 - 神功四丁目第2号緑地、神功六丁目緑地、朱雀四丁目緑地の併用開始。 9月2日 - 奈良交通鹿背山高の原線の山田川-相楽-兜台4丁目間を延長、鹿背山-山田川-高の原駅間運行開始。 10月1日 - 奈良交通高の原梅美台線の高の原駅-州見台間を延長、高の原駅-梅美台5丁目間運行開始。 10月 - 協同組合ハイタッチ・リサーチパークが木津町に対して建築規制緩和に関するお願いを提出。 2003年(平成15年) 3月 - 協同組合ハイタッチ・リサーチパークを山中が脱会することが承認される。 6月 - 奈良市右京・神功・朱雀・左京のそれぞれの自治連合会を中心とする京阪奈新線高の原乗り入れ促進協議会が設立。 7月 - 協同組合ハイタッチ・リサーチパークを第一紙行が脱会、積和建設奈良が加入することが承認される。 7月18日 - 曽根山大緑地、兜台2丁目府県境緑地の併用開始。 10月 - けいはんなITS社会実験高の原駅前にC-carポートを開設し、駅周辺の集合住宅の住民を対象にカーシェアリングの実験を実施。 2004年(平成16年) 2月 - 都市基盤整備公団が、商業用地として所有し、暫定的に高の原北駐車場となっていた木津町相楽一丁目4番の敷地約16,000m2を売却のため公募。 3月3日 - コープ朱雀が開店。 3月8日 - 都市基盤整備公団と沖縄徳洲会が商業用地の売買契約を締結。 6月4日 - 山中以外のハイタッチ・リサーチパーク10社が道路を木津町に移管。 6月4日 - 積水ハウス総合住宅研究所に大阪大学大学院理学研究科宇宙地球科学専攻環境電磁波測定ネットワークグループの環境電磁波測定器を新設。 7月20日 - 奈良市北部会館が開館。 8月31日 - フレンドリーショップ寿屋高の原店が閉店。 10月 - 都市再生機構が沖縄徳洲会に商業用地を引き渡す。 11月1日 - 木津町西部出張所が相楽台1丁目4番地から相楽台1丁目5番地の都市再生機構敷地内に移転。 11月 - 福寿園が渡文の研究所を購入。
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2000年 - 2004年
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「松浦亜弥」の記事における「2000年 - 2004年」の解説
2000年 10月、歌手デビューに先立ち「美・少女日記」に出演し、14歳で女優としてデビューした。 2001年 「Hello! Project 2001 すごいぞ! 21世紀(1月2日 - 2月25日)」が歌手御披露目。「100回のKISS」(2番の歌詞が当時未完成だった)を歌う。 4月11日、「ドッキドキ!LOVEメール」で歌手としてメジャーデビュー。 2001年ニッポン放送の春のキャンペーンのイメージキャラクターに選ばれ、番組開始。 第39回ゴールデン・アロー賞最優秀新人賞に選ばれる。 12月31日、第52回NHK紅白歌合戦に初出場。歌唱曲は「LOVE涙色」。 2002年 3月、「Mの黙示録」にて男声コーラスグループBaby Booと共演した折に「LOVE涙色」をアカペラコーラス付で歌わせて貰い、歌い終わると感動で号泣する。 5月14日、日本プロ野球の戦後初となる海外公式戦「ダイエー対オリックス」(台湾・台北市立天母棒球場)で始球式と国歌独唱を務める。 8月9日、フジテレビにて放送された『天使の歌声 〜小児病棟の奇跡〜』に(より子役で)主演。ドラマ主役を演じるのは初(第29回放送文化基金賞の出演者賞を受賞)。 日中国交正常化30周年記念ASIA2002 MUSIC FESTIVAL IN 上海に出場。10月20日にNHKにて放送。 11月20日、後藤真希、藤本美貴とごまっとうを結成。 12月31日、第53回NHK紅白歌合戦に2年連続2回目の出場。歌唱曲は「Yeah! めっちゃホリディ」。 2003年 3月15日、初出演映画『青の炎』が公開される。 9月9日、Gatas Brilhantes H.P.(ガッタス ブリリャンチス H.P.)結成に参加(2004年3月に脱退)。 10月1日、新幹線のぞみ姫路駅発着開始記念一日駅長(JR西日本)。 12月31日、第54回NHK紅白歌合戦に3年連続3回目の出場。歌唱曲は「ね〜え?」。 2004年 3月13日、J1の開幕戦神戸対市原の試合前に開催されたオープニングセレモニーの特別ゲストとして招待された。 4月2日、春の全国交通安全運動の一環として、警視庁丸の内警察署の一日署長を務める。 6月28日、18歳の誕生日直後に「あなたがいるから、矢口真里」にゲスト出演し生放送の深夜放送に進出。 7月 - 9月、日本テレビ系連続テレビドラマ『愛情イッポン!』(毎週土曜日21時〜21時54分)で初主演。 8月8日、神宮外苑花火大会のイベント(日刊スポーツ主催)で、WやBerryz工房と、国立霞ヶ丘競技場にてライブ出演。 9月17日、「第44回ACC・CMフェスティバル」(全日本シーエム放送連盟 (ACC) 主催)で「演技賞」を受賞。受賞作はグリコプリッツの「ツップリどすこい」篇。 10月6日、後浦なつみ結成(後藤真希、安倍なつみと3人で)。 10月20日、「トリビアの泉」で品評会メンバーとして登場。 12月31日、「後藤真希&松浦亜弥」として第55回NHK紅白歌合戦に出場。デビュー以来4年連続の出場。歌唱曲は「冬の童謡〜メリークリスマス&ハッピーニュー2005年〜」。
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2000年 - 2004年
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「中森明菜」の記事における「2000年 - 2004年」の解説
2000年、音楽プロダクション楽工房と契約し、現個人事務所FAITH、現公式ファンクラブFAITHWAYを発足。前年に見舞われたトラブルを整理した末、マネジメントを一新。芸能活動の基盤を整える。前年末から虚実ないまぜのゴシップが流れ、所属レコード会社との契約が決定していない状況にあったが、中森は「曲でもコンサートでもいいものを届けたい気持ちが先に立っちゃうんです。それには、スタッフと色々悩みながら作り上げていく過程が大切。そうすれば結果がどうであれ、一緒に作ったという土台は残るでしょ」とコメント。こうして心機一転を図り、5月には2年ぶりに、自身初となるバラードコンサート・ツアー「中森明菜2000 〜21世紀への旅立ち〜」を開催した。2000年代には演歌やムード歌謡、フォークソングなどのカバーアルバムを次々と発売し、歌い手としての力量を見せつけた。 デビュー20周年目を迎えた2001年、5月にMusic@nifty内のインディーズレーベル@easeにて、40枚目のシングル「It's brand new day」を音楽配信で先行リリースする。6月からは20周年記念ツアーの第1弾としてALL ABOUT AKINA 20th Anniversary IT'S BRAND NEW DAYを開催した。 2002年、デビュー満20周年となったこの年、契約していた楽工房から現所属事務所FAITHにマネジメント業務を移し、現所属レコード会社のユニバーサル ミュージック ジャパンに移籍する。同年3月20日、移籍第1弾カバー・アルバム『-ZEROalbum- 歌姫2』を発売。山口百恵の「秋桜」や、松田聖子の「瑠璃色の地球」などをカバーした同作は、4月8日付のオリコン週間アルバムランキングで『la alteración』以来7年ぶりにトップテン入りしヒットした。以降、複数のカバー・アルバム企画を発表していく。5月には移籍後初の41枚目となるシングル「The Heat 〜musica fiesta〜」と20枚目のスタジオ・アルバム『Resonancia』の発売に、このアルバムを引っ提げた20周年記念ツアーの第2弾として「MUSICA FIESTA TOUR 2002」を開催した。その後12月31日に行われた『第53回NHK紅白歌合戦』に出場し、同月に発売したベスト・アルバム『Akina Nakamori〜歌姫ダブル・ディケイド』バージョンの「飾りじゃないのよ涙は」を披露、14年ぶりの紅白出場であった。 2003年、バラード集となった21枚目となるスタジオ・アルバム『I hope so』を5月にリリース。中森が4曲作詞している。8月2日には、台湾の音楽祭である第14回金曲奨にプレゼンターとして出演、デビュー以来初訪台となった。12月にはカバー・アルバム歌姫シリーズの3部作の最後となった『歌姫3 〜終幕』をリリース。この歌姫シリーズは最終的に累計で100万枚を記録したと発表された。 2004年、5月にユニバーサル ミュージック ジャパン内の私設レコードレーベル歌姫レコーズを設立し、同レーベルより43枚目のシングル「赤い花」を発売する。
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2000年 - 2004年(京都サンガ時代)
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「黒部光昭」の記事における「2000年 - 2004年(京都サンガ時代)」の解説
大学卒業後、京都パープルサンガに入団。 プロ1年目の2000年は三浦知良やへジスの陰に隠れていてゴールを決めることができなかったが、2年目の2001年には背番号9をもらい、この年41試合で日本人として驚異的な30ゴールを決めJ2ゴールランキング2位、日本人ゴールランキング1位に輝いた。 2002年には松井大輔、朴智星らとともに破壊力抜群の攻撃的なサッカーを展開し、3-4-3のフォーメーションのセンターフォワードとしてチームトップ、日本人ゴールランキング3位の13得点をあげた。また天皇杯では5試合で4得点を上げ優勝に貢献。決勝の鹿島アントラーズ戦では決勝点を挙げた。 2003年にはフル代表に初選出されるが怪我などで苦しいシーズンを送り、チームも来季よりJ2へ降格することとなった。 2004年はJ2で戦うことを決意したが、代表から漏れチームもJ1に昇格できず本人も9得点と不本意なシーズンを送った。
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2000年 - 2004年
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「アジャイ・デーヴガン」の記事における「2000年 - 2004年」の解説
『Bol Bachchan』撮影中のデーヴガン、ローヒト・シェッティ、アビシェーク・バッチャン 『ターバン魂』プロモーション中のデーヴガン、ソーナークシー・シンハー 『テーズ:スピード』プロモーション中のデーヴガン、アニル・カプール 2000年にハリー・バウェージャーの『Deewane』に出演するが、興行的には振るわなかった。この年には初プロデュース作品『Raju Chacha』でカジョールと共演したが、興行成績は平均的な結果に終わった。2001年に『Yeh Raaste Hain Pyaar Ke』でマドゥリ・ディークシット、プリーティ・ジンタと共演した。『Lajja』ではマニーシャ・コイララ、マドゥリ・ディークシット、ジャッキー・シュロフ、アニル・カプールと共演してフィルムフェア賞 最優秀助演男優賞(英語版)にノミネートされたが、興行成績は平均的な結果に終わった。同年11月にはマヘーシュ・マーンジュレーカルの『Tera Mera Saath Rahen』に出演している。 2002年にムンバイ裏社会(英語版)を描いたラーム・ゴーパール・ヴァルマ(英語版)の『Company』でギャング役を演じた。デーヴガンの演技は高い評価を得ており、タラン・アダルシュは「アジャイ・デーヴガンは自分の役を完璧に演じている。抑制された演技で、魚が水に浸るように複雑なキャラクターを演じた。彼は見事なまでに役を演じきった」と批評している。また、フィルムフェア賞最優秀主演男優賞にノミネート、フィルムフェア賞 批評家選出最優秀主演男優賞(英語版)を受賞したものの、興行成績は芳しくなかった。デヴィッド・ダワン(英語版)の『Hum Kisise Kum Nahin』ではアミターブ・バッチャン、サンジャイ・ダット、アイシュワリヤー・ラーイと共演し、ラージクマール・サントーシ(英語版)の『The Legend of Bhagat Singh』ではバーガット・シン(英語版)役を演じた。デーヴガンの演技は高い評価を得ており、タラン・アダルシュは「アジャイ・デーヴガンは、この役を生きている。彼の演技はエクセレントと言っても過言ではないでしょう。彼の演技は映画ファンの賞賛を集め、間違いなく映画賞を手にするでしょう」と批評している。彼はナショナル・フィルム・アワード最優秀主演男優賞を受賞したものの、興行的にはボックスオフィス・ボムと見なされている。『Deewangee』ではフィルムフェア賞 最優秀悪役賞(英語版)、スター・スクリーン・アワード 最優秀悪役賞(英語版)、ジー・シネ・アワード 最優秀悪役賞(英語版)を受賞し、興行的にも成功を収めた。 2003年にラーム・ゴーパール・ヴァルマの『Bhoot』でウルミラ・マトンドカールと共演し、批評面・興行面で高い評価を得た。『Qayamat: City Under Threat』ではボリウッド初出演を果たしたネーハー・ドゥピアと共演し、興行的な成功を収めた。『Chori Chori』ではラーニー・ムカルジー、ソナリ・ベンドレと共演したが、興行成績は振るわなかった。バーガルプル失明事件(英語版)を題材にした『Gangaajal』では、Rediff.comから「アジャイ・デーヴガンは、彼の水面下に潜む怒れるヒーローのイメージを強化するために用意されたパートで、エース級の仕事をやり遂げました。彼(そして監督)の功績として、ステレオタイプで正義感の強い主人公に品位と優雅さをもたらしました。彼の存在が、映画後半のつまらなさをカバーしていると言っても過言ではないでしょう」と評価され、フィルムフェア賞最優秀主演男優賞にノミネートされた。この他にローヒト・シェッティの監督デビュー作『Zameen』、J・P・ダッタの『レッド・マウンテン』に出演している。 2004年にラージクマール・サントーシの『Khakee』ではアミターブ・バッチャン、アイシュワリヤー・ラーイ、アクシャイ・クマールと共演し、年間興行成績第5位にランクインするヒット作となった。同作では殺人者に変貌する警官役を演じ、タラン・アダルシュは彼の演技について「アジャイ・デーヴガンは、マスター・パフォーマーだけができる演技で、活躍の場をさらに広げた。アミターブ・バッチャンとの対決シーンは、その代表例だ」と批評している。この他、同年前半期はインドラ・クマールの『Masti』、マニ・ラトナム(英語版)の『Yuva』に出演した。同年12月にリトゥポルノ・ゴーシュ(英語版)の『Raincoat』でアイシュワリヤー・ラーイと共演した。同作はオー・ヘンリーの『賢者の贈り物』を原作とし、ナショナル・フィルム・アワード 最優秀ヒンディー語長編映画賞(英語版)を受賞した。デーヴガンの演技も高い評価を得ており、Rediff.comは「躊躇い、絶望、屈辱……アジャイ・デーヴガンは、これらを雄弁に語っている。彼が演じるマノージュはクールな男ではなく、恵まれない中産階級の男で、誰もその立場に成り代わりたいとは思わないだろう。浴室で泣き崩れるシーンや、ニールに他の男と結婚しないように懇願するシーンは、特に印象に残っている」と批評している。
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