NHKにて
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1955年、九州大学を卒業しNHK放送技術研究所に入局。その半年後には米国への留学を命ぜられ、コロンビア大学において1年間トランジスタの研究を行う。帰国後、NHKにおいてテレビの技術革新に務め、中継放送用の無線送信可能な携帯用テレビカメラ「ウォーキー・ルッキー」を開発している。 1961年、NHKはコンピュータ導入による合理化に着手することになり、三井もそのプロジェクトの一員に選ばれる。このプロジェクト・メンバーには、後にNHK会長となるプロデューサーの川口幹夫、ディレクターの和田勉、後にノンフィクション作家となる記者の柳田邦男もいた。プロジェクト発足当初から三井は使用するコンピュータにIBM機を選定し、1968年、プロジェクト・リーダーの一人として、IBMの「システム/360」と「1800システム」(アナログ・ディジタル変換用)を使用した、①スケジュール管理 ②制作に必要な機材割当て ③番組の自動送出の機能を備えた「番組技術システム(通称:TOPICS(Total Online Program and Information Control System))」を始動させる。
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