2000年-2002年 ウィリアムズ姉妹時代
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「ビーナス・ウィリアムズ」の記事における「2000年-2002年 ウィリアムズ姉妹時代」の解説
1999年の全米オープンで、セリーナがグランドスラム初優勝を飾ってからは、2000年以降は徐々に女子テニス界をウィリアムズ姉妹が支配していくことになる。 2000年にウィンブルドン選手権でビーナスが初優勝を果たす(この時は準決勝でセリーナと姉妹対決をしている)。続く全米オープンで4大大会連続優勝。シドニー五輪でも単複の金メダルを獲得し、シングルス「35連勝」を記録した。 2001年もウィンブルドンと全米オープンで大会2連覇。2001年の全米オープンでは、姉妹の夢であった「4大大会決勝での姉妹対決」を初めて実現、ビーナスが勝利した。2002年2月、黒人の女子テニス選手として初の世界ランキング1位に耀く。しかしこの頃からセリーナとの形勢が逆転。2002年全仏オープンから2003年全豪オープンまで「4大会連続」で姉妹対決の決勝となるが、全て敗退。翌2003年のウィンブルドンでも決勝でセリーナに敗れた。
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