2000年-2002年:ノー・モア・ドラマ
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「メアリー・J. ブライジ」の記事における「2000年-2002年:ノー・モア・ドラマ」の解説
アルバム『メアリー』収録直後、メアリーは新たな楽曲「ノー・モア・ドラマ」(No More Drama)をレコーディングしていた。印象的なピアノソロのイントロから始まるこの曲は、メアリーがこれまで体験してきた艱難辛苦を乗り越える「drama, pain はもうまっぴら、波乱万丈の不幸な人生はもういらない」という内省的な内容で、ジャム&ルイスが制作した綿密なサウンドに仕上がった。 2001年には、映画やドラマなど女優にも挑戦。『プリズン・ソング(英語版)』に出演した。2001年6月には、第1回BETアワード(BET Awards 2001)で「Best Female R&B Artist」に選ばれるなど、確固とした地位を確立する。そして5作目のスタジオ・アルバム『ノー・モア・ドラマ』(No More Drama)を同年2001年8月にリリース。このアルバムの売上も200万枚を超えるプラチナとなり、全米チャート2位、R&Bチャート1位を記録した。 アルバムからの1stシングルはドクター・ドレーによるプロデュースの「ファミリー・アフェアー」(Family Affair)で、全米ビルボードチャート6週連続1位という大ヒットを記録し、それまでのメアリーのシングルの中で最大のヒット作となった。最初に録音した表題作シングルの「ノー・モア・ドラマ」もヒットし、アルバム全体もこのインパクトの強い2曲に代表されるように力強さを感じる作品になっている。他のシングルカットでは、ポリスの1980年の曲「ひとりぼっちの夜」(The Bed's Too Big Without You)をサンプリングした「ダンス・フォー・ミー」(Dance for Me)をリリースした。 「ファミリー・アフェアー」は、第44回グラミー賞(2002年2月開催)で「最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞」にノミネートされ、アルバム『ノー・モア・ドラマ』も「最優秀R&Bアルバム賞」にノミネートされた。2002年には新たな楽曲を収録した再発版もリリースされ、その中の「ヒー・シンク・アイ・ドント・ノウ」(He Think I Don't Know)は、第45回グラミー賞(2003年2月開催)で「最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞」Best Female R&B Vocal Performance)を受賞した。また2年連続でNFLスーパーボウルでのパフォーマンスを行なった。 メアリーは5thアルバム『ノー・モア・ドラマ』について、自分自身に対しての「anger(怒り)」がテーマとなり、これまで味わってきた愛憎劇に終止符を打ち、「もうこれ以上苦痛は味わいたくない、このままじゃ何も得られないから」という思いを込めて作成したものと振り返っている。 2002年2月からは、世界ツアー「ノー・モア・ドラマ・ツアー」(o More Drama Tour)が行なわれ、同年リリースされた『ノー・モア・ドラマ~ニュー・エディション』では、仲違いをしていたP・ディディ(1stアルバム『What's the 411?』と2ndアルバム『マイ・ライフ』のプロデューサーだったショーン・パフィ・コムズ)が「ノー・モア・ドラマ」の リミックス・バージョンを手がけた。このリミックスを作った時、パフィは次のメアリーのアルバムをまた一緒にプロデュースしたいとメアリーに言った。
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