表題作
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フリードリッヒ・シュミット / フリー テルツ少年合唱団の総合責任者。14歳の秋にザルツブルクのモーツアルテルム音楽院に転校し、合唱団のプレフェクト(合唱指導教育係)に出世し、アロイジアーとも交際するが、失恋する。ハインツと音楽理論の点でも対立し、彼に怪我をさせてしまったことがきっかけで、自身の音楽面での才能に見切りをつけ、父親の病状を理由に音楽院を去る。だが、シュテファンの励ましがきっかけで再度音楽の道を目指すことになり、父親のすすめと地元の教育委員会の推薦で、テルツ少年合唱団を設立する。バイエルンのラジオで曲が放送されたことで、合唱団への名望が集まり、世間に認められる。 アルマ フリードリヒの幼馴染みで、シュテファンの姉。のちにフリードリヒの伴侶となる。 シュテファン フリードリヒのことを慕う同郷の少年で、アルマの弟。悪性の貧血であったが、合唱団のために命をかけて練習に参加する。教会で天使の像を見た後、なくなった子供は天使として天上で永遠に美しい声で歌い続けるというフリードリヒの話を聞いて安堵しつつ、昇天した。 アロイジアー フリードリヒが音楽院で出会った勝気な少女。指揮者クルト・リッター教授の姪で、学院の王女的存在。気紛れで、フリードリヒに興味を持ってつきあうが、将来性のあるハインツに乗り替える。 オットー・グルーバー フリードリヒの音楽院での同級生で、友人。同じバイエルン地方出身。 ハインツ・メヒテル フリードリヒの音楽院でのライバル。アロイジアーの婚約者になる。少年と大人の合唱に差はないと主張し、少年独自の声を生かし切れていないとフリードリヒに批判される。ナチスに家族を殺されたという恨みを持っており、バイエルン地方からナチスが誕生したことでフリードリヒを皮肉り、アロイジアーや指揮者の件で挑発する。その後、フリードリヒの育てたテルツ少年合唱団の歌声を聞き、改心して謝罪する。
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表題作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/28 04:54 UTC 版)
表題作となっているエッセイの中でアシモフは、誤りには程度というのもがあり、ある意味で間違っていることも、別の見方において間違っていることに比べれば、同程度にひどいことだとは限らない、と論じている。例えば、ある子どもが「砂糖」を意味する「sugar」の綴りを「pqzzf」と書いたとしたら、その子は明らかに正しくない。しかし、アシモフによれば、「shuger」など音を表現するという観点からはそれらしい綴りを書く子どもがいるとすれば、まったくデタラメの綴りを書く子どもより「間違いの程度は比較的小さい (less wrong)」。さらに、別の子どもが「スクロース (sucrose)」とか「C12H22O11」と書いたとすれば、それは正しい綴り字ではないが、言及されている実在するモノについての理解の深さを示唆することになるだろう。アシモフは、より好ましい試験の質問は、「sugar」の書き表し方をできる限り多く書かせ、その妥当性を説明させることであろうと提案している。 同様に、地球が球体であると信じることは、大地が平面であると信じるよりも、間違いの程度は小さいが、実際には地球は回転楕円体か、合理的に考えてそれに近い形状をしているので、やはり間違いであることになる。知識の水準が高まっていくにつれて、地球の形状もより精緻に捉え直されてゆき、一段階進むごとに慎重かつ微妙な探索が必要になってくる。大地を平面と考える理論の間違いと、地球は完全な球と考える理論の間違いを同一視する見方は「二つの間違いを合わせた以上に間違っている (wronger than both of them put together)」とアシモフは述べている。 マイケル・シャーマーは、このアシモフの議論を「アシモフの公理 (Asimov's axiom)」と名付け、アシモフ自身はこのエッセイの中でそのような言い回しを使っていなかったにも関わらず「間違い以上に間違っている (wronger than wrong)」という表現で説明した。 アシモフは、この「誤りの相対性」のエッセイを、とある「英文学専攻生 (English Literature major)」から寄せられた書簡に記された、科学の進歩を信じるアシモフへの批判に対する応答として書いた。アシモフは、この名前が伏せられている人物を、世界についてのあらゆる科学的説明はいずれも誤っているのだ、というポストモダン的観点をとる者として描いている。理性主義者アシモフは、この批判に苛立ち、月刊誌『F&SF』にこの表題作となったエッセイを寄稿したのであった。
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