2000年12月まで
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「ワイドABCDE〜す」の記事における「2000年12月まで」の解説
本番組はスタート2か月前の1994年2月に制作開始のゴーサインが出された。この時最初は10月スタートを目標に提案されたものだったが、他局でもローカルワイドスタートの気運が出ているのを感じ取った上層部が「10月では遅い」として、他局に先行するとして4月スタートとするとしたことで、準備期間わずか2か月の“突貫工事”となった。本番組のスタートに際し、この年の3月1日に社会情報室が新設された。 1994年の開始当初は、大阪駅にあるアクティ大阪内のサテライトスタジオ「ABCエキスタ」(1997年に廃止)からの公開生放送を行っていた。最初はバラエティ要素も持ち合わせた番組であり、スタート当初の視聴率は2%ほどだった。 同年9月29日から主婦層を中心にした生活情報番組に形態を絞った。視聴率は同年10月末頃には5〜6%、12月には7%を超えるまでに上昇した。また1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生してからは、震災関連情報に時間を割くようになる。当初は土曜日の『部長刑事』の影響で月曜日から木曜日までの放送であった。 1995年9月28日までは吉本興業の若手お笑い芸人によるユニット吉本印天然素材による若者向けのコーナーを放送した。これは直接の前番組であるトミーズ司会のバラエティ番組『うぉんてっど!』を引き継ぐ意味合いがあって、最初1994年4月からは天然素材の進行で10代の若い視聴者をターゲットにした番組を平日午後4時からスタートさせる予定で準備が進められていた。そのため、これは出演者の確保を望んだ吉本興業に配慮した格好だった。駅前中継におかけんた・ゆうたと亀山房代が起用されたが、共に吉本興業所属。 なお、金曜日は16時から2時間は部長刑事の影響に伴うアニメ枠(ガンダムシリーズと勇者シリーズ)、戦隊シリーズを放送したうち、1996年12月末にガンダムシリーズ枠が廃枠。1997年4月6日に戦隊シリーズが枠移動し、17時台の枠が確保できたため同時期から2時間枠で金曜版が開始された。 そして1998年に勇者シリーズの後継のアニメ枠が枠移動したことにより、他曜日と同様の編成となった。 番組の構成は、16時台と17時台にそれぞれ特集を組んで暮らしに役立つ知恵・買い物・タウン情報を紹介。毎時間のニュース(ABCアナウンサーの堀江政生など)・17時台の天気、これに前後する形で神田川俊郎や程一彦らの料理コーナー、中継(初代リポーターは三代澤康司)、大阪駅前からイベント・トレンド情報「駅前情報局」(亀山房代など)を放送。 また、随時FAXで寄せられたメッセージ紹介(山下真妃など)、ハガキ応募・電話参加の視聴者ゲーム「めざせ10万円 キャッシュかティッシュ」などが放送された。札幌テレビ『どさんこワイド』に代表される、夕方ワイド番組のパイオニア的存在となる。 このスタイルの番組としては、関西地方で一番手であった。エンディングでは1ヶ月または2ヶ月ごとにテーマ曲を変更し、Kiroroの「長い間」や19の「あの紙ヒコーキ くもり空わって」などをブレイク前に採用していた。 また当初は『ステーションEYE ANN』→『ANNスーパーJチャンネル』といったテレビ朝日発全国ニュースと関西ローカルニュースを番組内に内包していた。 ローカルニュースについては1999年10月4日以降『ワイド630』というタイトルがつけられたが、1年後の2000年10月2日からニュース枠は切り離し、ローカルニュース枠を『ABC NEWSゆう』として独立させたが、スタジオは共通のものを使用していた。 エキスタ時代は三代澤と浜村らが駅前からエンディングを放送し、三代澤はニュースコーナーに出演しなかったが、エキスタ廃止後は三代澤もローカルニュースを担当している。 さらに、2000年12月23日までは、土曜日の朝の時間帯に1週間分のダイジェスト版としてタージン司会の『週刊!!ワイドABCDE〜す』も放送されていた。
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