ニュー・エディションとは? わかりやすく解説

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ニュー・エディション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/25 08:14 UTC 版)

ニュー・エディション
New Edition
ニュー・エディション(2018年)
左から、ロニー・デヴォー、ボビー・ブラウン、リッキー・ベル、マイケル・ビヴィンス
基本情報
別名 N.E.
出身地 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ボストン
ジャンル R&Bポップスニュージャックスウィング
活動期間 1978年 - 1990年1996年 - 1997年2002年 -
レーベル Streetwise、MCAバッド・ボーイゲフィン
共同作業者 レイ・パーカー・ジュニア、ジャム&ルイス、モーリス・スター、ベル・ビヴ・デヴォー
メンバー リッキー・ベル
マイケル・ビヴィンス
ボビー・ブラウン
ラルフ・トレスヴァント
ジョニー・ギル
ロニー・デヴォー

ニュー・エディションNew Edition)は、アメリカマサチューセッツ州ボストンで1978年に結成されたR&Bグループ。結成時のメンバーはリッキー・ベル、マイケル・ビヴィンス、ボビー・ブラウン、ロニー・デヴォー、ラルフ・トレスヴァント。

1980年代前半にはグループとして3曲のヒットを飛ばした。1985年にボビー・ブラウンがグループから離脱しソロとして活動開始。1988年の4枚目のアルバム『ハート・ブレイク』制作時にジョニー・ギルがグループへ加入し、再びヒットを放った。1990年にグループは活動を停止し、メンバーそれぞれがソロや別ユニットのベル・ビヴ・デヴォーで活動するようになる。

1996年に再結成。96年から97年にかけて2曲のカムバック・ヒットを放った。

2002年に2回目の再結成となり、その後は解散せずに活動している。2004年、ショーン・パフィ・コムズバッド・ボーイ・レコードと契約し6枚目のアルバム『ワン・ラヴ』をリリースする(このアルバムが現時点でのグループの最後にリリースされたアルバム)。2011年3月3日にアメリカのケーブルテレビ「BET」の番組にて結成30年記念として6人でライブを行う。2017年1月23日にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得。また同年、「BET」にてグループのドキュメンタリー・ドラマが放送されている。

来歴

初期・1978年-1982年

1978年にリッキー・ベル、マイケル・ビヴィンス、ボビー・ブラウンによってボーカル・グループが結成される(3人のほかにトラヴィス・ペタスとコーリー・ラックリーが在籍)。

ボストン・ロックベリーでライブを行い、その後にマネージャー兼振付師となるブルック・ペインと出会う。ブルック・ペインによりグループ名「ニュー・エディション」と名づけられる(ポスト・ジャクソン5のような意味合いが込められていた)。コーリー・ラックリー脱退後、ラルフ・トレスヴァントがグループに参加(既にボビーやビヴィンスとは知り合いで、リッキーとはラルフ&リッキーで歌っている仲であった)。その後、トラヴィス・ペタスがグループから脱退し、交代でブルック・ペインの甥であったロニー・デヴォーが加入。

全盛期・1983年-1989年

1981年にボストンのストランド・シアターにてパフォーマンスを行った際、シンガーで音楽プロデューサーであったモーリス・スターと出会う。

1983年にモーリス・スターとニューヨークのプロデューサーであるアーサー・ベイカーのプロデュースのもとでファースト・アルバム『キャンディー・ガール』をリリースする。アルバムから「Candy Girl」「Cool It Now」「Mr. Telephone Man」がアメリカR&Bシングルチャート1位、「Candy Girl」が全英シングルチャートにて1位の記録を打ち出す[1]。ファースト・アルバム・ツアーから戻った後、モーリス・スターとの契約金をめぐるトラブルが発生し1984年にモーリスと決別することになった(その後、モーリスはニュー・エディションをモデルに白人の少年達を集めニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックを結成させ売り出していく)。

グループはメジャーレーベルのMCAレコードと契約を交わし2枚目のアルバム『クール・イット・ナウ (New Edition)』をリリースする。ビルボード・トップ100にて「Cool It Now」が最高位4位、「Mr. Telephone Man」が最高12位とヒットを獲得する。

1985年には3枚目となるアルバム『オール・フォー・ラヴ』がリリースされる。アルバムから「Count Me Out」などがヒット。この頃、ヒップホップ映画『クラッシュ・グルーブ』に「My Secret」のライブ・パフォーマンスが収録されている。同年末にクリスマスEP『クリスマス・オール・オーヴァー・ザ・ワールド』をリリース。

1985年12月、プライベート等の素行の問題によりMCAマネージメントからボビー・ブラウンが解雇される。解雇後、1986年よりボビーはソロ活動を開始することになる。

1986年に、ペンギンズの1954年のヒットソング「アース・エンジェル」をカバーし、映画『ベスト・キッド2』に曲を提供。その流れで4枚目のアルバムとしてドゥーワップのカバー・アルバム『アンダー・ザ・ブルー・ムーン』をリリースした。

ボビー・ブラウンのグループ離脱後、ソロ活動開始し「ガールフレンド」のヒットを放った。リードシンガーが離脱することを懸念し、1987年に残りの3人はソロ・シンガーとして活躍していたジョニー・ギルをリードシンガーにするべく、グループへ迎え入れた。ラルフは結局、グループに残留し、ジョニーを含む新しい5人体制での活動を開始する。

新体制にて5枚目のアルバム『ハート・ブレイク』制作に取り掛かる。プロデュース・チームであるジャム&ルイスを迎え入れ、アルバムは1988年6月20日にリリースされた。アルバムからは「If It Isn't Love」「Can You Stand The Rain」「N.E. Heartbreak」などのシングルヒットを飛ばす。このアルバムは結果としてグループ最大のヒットとなりアメリカでダブルプラチナムを獲得、全世界では400万枚を売り上げた。なお、同日にリリースされたボビー・ブラウンのアルバム『ドント・ビー・クルエル』はアメリカ国内で700万枚超、全世界で1000万枚強を売り上げた[2]LA&ベイビーフェイス[3]テディー・ライリー[4]らをプロデューサーとして起用したボビーの作品は、プラチナ・レコードに認定された。アルバムからは「マイ・プリロガティヴ」「ロニ」「エブリィ・リトル・ステップ」「ロック・ウィッチャ」などが立て続けにビルボードTop10ヒットを記録した[5]。89年には『ゴーストバスターズ2』のテーマ曲「オン・アワ・オウン」も大ヒットし、翌1990年グラミー賞の最優秀R&B男性シンガーも獲得した[6]

ソロ活動ほか・1990年以降

1990年にグループの活動を停止し、メンバーはそれぞれのソロ活動を開始する。プロデューサーであったジャム&ルイスの提案により、リッキー・ベル、マイケル・ビヴィンス、ロニー・デヴォーのトリオでユニット名「ベル・ビヴ・デヴォー (Bell Biv DeVoe)」を結成(当初は「Bell Bivins DeVoee」という名称であったがマイケル・ビヴィンスの提案により変更された)。

アルバム『ポイズン』は当時のヒップホップ・サウンドを取り入れたニュージャックスウィングの代表的なサウンドとなった。アルバムはクォータブルプラチナム(400万枚)と爆発的なヒットとなった。

ジョニー・ギルは2度目のセルフタイトル『Johnny Gill』(邦題『ロンリー・ナイト』)をリリースする(グループ加入以前の1983年に同タイトルのアルバムをリリースしている)。アルバムから「My, My, My」「Rub You the Right Way」などのシングルヒットを飛ばし、アルバムはマルチプラチナムを獲得する。

ラルフ・トレスヴァントもまたセルフタイトルのアルバム『ラルフ・トレスヴァント』をリリース。シングル「Sensitivity」は20週間に渡り全米R&Bシングルチャート1位を獲得、その他「Do What I Gotta Do」「Stone Cold Gentleman」でシングルヒットを飛ばし、アルバムはマルチプラチナムを獲得した。

ベル・ビヴ・デヴォーのリミックス「Word to the Mutha!」にラルフ、ボビー、ジョニーがフィーチャリングで参加し、ラルフの「Stone Cold Gentleman」やベル・ビヴ・デヴォーの「BBD (I Thought It Was Me)」のビデオにボビーが参加するなど、再びメンバー間の交流をし始める。

それぞれのソロ活動と成功を経て、1996年にボビーを含む6人体制としてのグループを始動する。6枚目のアルバム『ホーム・アゲイン』をレコーディング・リリースする。アルバムはアメリカにおいてビルボード200とR&Bアルバムチャートの両方にて1位を達成しダブル・プラチナムを獲得する。アルバムからは「Hit Me Off」「I'm Still In Love With You」でヒットを飛ばす。アルバムツアーを行うがラスベガスのショーにてボビーがソロタイムを予定より大幅に長く終わらなかっため、ロニーが途中で打ち切りベル・ビヴ・デヴォーのショーを開始したためステージ上で揉め事になり、バックステージが混乱する中でメンバーのセキュリティ・ガードマンが銃を乱射してしまう。そのことが発端となり、ビヴィンスとボビーがそれぞれツアーを抜け、ツアーは途中で終了することとなった。グループは結果としてまた再決裂することとなった。

その後、ジョニー・ギルはキース・スウェット、エディ・レヴァートとR&BグループLSGを結成し、アルバム『レヴァート、スウェット、ギル』をリリースする。

2002年に再びボビー抜きの5人体制で再結成し各地のクラブやカジノ、小さなアリーナでツアーを始める。その後、前作でも数曲プロデュースで関わっていたショーン・パフィ・コムズバッド・ボーイ・レーベルと契約。2004年にはバッド・ボーイ傘下で6枚目のアルバム『ワン・ラヴ』をリリースする。アルバムはビルボード200にて初登場12位を達成するもすぐに下降した。 2009年6月28日、3日前に急逝したマイケル・ジャクソンのトリビュートのためにグループでジャクソン5の「I Want You Back」「ABC」「The Love You Save」等を含むメドレーを披露。

2012年、ボビーとベル・ビヴ・デヴォーがアフリカの「ナイジェリア」にてパフォーマンスを行う。同年、グループにソウル・トレイン授賞式で特別功労賞生涯業績賞が送られる。6人のメンバーでセレモニーのステージに登場する。

2017年にグループの幼少期から現在に至るまでのドキュメンタリー映画『ニュー・エディション・ストーリー』がケーブルテレビBETで公開された。2018年にボビー・ブラウンのドキュメンタリー映画『ボビー・ブラウン・ストーリー』がケーブルテレビBETで公開される。同年から2019年にかけてボビー・ブラウンとベル・ビヴ・デヴォーがツアーを行う。

メンバー

  • リッキー・ベル (Ricky Bell) – 三次リード・ボーカル、バック・ボーカル (1981年– )
  • マイケル・ビヴィンス (Michael Bivins) – ラップ、バック・ボーカル (1981年– )
  • ボビー・ブラウン (Bobby Brown) – 二次リード・ボーカル、バック・ボーカル (1981年–1985年、1996年–1997年、2005年– )
  • ラルフ・トレスヴァント (Ralph Tresvant) – 主要リード・ボーカル、バック・ボーカル (1981年– )
  • ロニー・デヴォー (Ronnie DeVoe) – ラップ、バック・ボーカル (1981年– )
  • ジョニー・ギル (Johnny Gill) – 共同二次リード・ボーカル、バック・ボーカル (1987年– )

タイムライン

ディスコグラフィ

シングル

  • 「キャンディ・ガール」
  • 「クリスマス・オール・オーヴァー・ザ・ワールド」 (1985年、MCA)

スタジオ・アルバム

  • 『キャンディー・ガール』 - Candy Girl (1983年、Streetwise)
  • 『クール・イット・ナウ』 - New Edition (1984年、MCA)
  • 『オール・フォー・ラヴ』 - All for Love (1985年、MCA)
  • 『アンダー・ザ・ブルー・ムーン』 - Under the Blue Moon (1986年、MCA)
  • 『ハート・ブレイク』 - Heart Break (1988年、MCA)
  • 『ホーム・アゲイン』 - Home Again (1996年、MCA)
  • 『ワン・ラヴ』 - One Love (2004年、Bad Boy)

脚注

  1. ^ Huey, Steve. “New Edition – Artist Biography”. AllMusic. All Media Network. 03 February 2022閲覧。
  2. ^ モーリス・スターによるニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックは、同年9月に2作目のアルバム『ニュー・キッズ、ストリート・タフ宣言 (Hangin' Tough)』をリリースしており、アメリカ国内で800万枚超、全世界では1700万枚超を売り上げた
  3. ^ ウィスパーズ、キャリン・ホワイト、ジョニー・ギル、ペブルスら多くの音楽家のプロデュースを担当した
  4. ^ 革新的なサウンドである「ニュージャックスウィング」を確立した
  5. ^ Bobby Brown Chart History - billboard.com
  6. ^ Bobby Brown”. Recording Academy Grammy Awards. 1 December 2021閲覧。

関連項目

外部リンク


ニュー・エディション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 14:49 UTC 版)

ジョニー・ギル」の記事における「ニュー・エディション」の解説

ジョニー1987年、ニュー・エディション (New Edition) のメンバー、マイケル・ビビンズ (Michael Bivins) から同グループスカウトされ、そのキャリア新たな1章スタートさせた。ボビー・ブラウンBobby Brown、以下ボビー)がグループから外れ、リードシンガーのラルフ・トレスヴァント(Ralph Tresvant、以下ラルフ)も当時ソロ活動のための脱退うわさされている状況後任として迎え入れられたのがジョニーであったジョニーはニュー・エディション唯一のボストン出身メンバーとなった。1リードシンガーを務め最年長ジョニー(そして最終的にグループ留まりソロ活動スタート遅らせたラルフとともに、ニュー・エディションはアルバムハート・ブレイク』(Heart Break) でより成熟した大人サウンド展開し、「キャン・ユー・スタンド・ザ・レイン」(Can You Stand The Rain)、「N.E.ハート・ブレイク」(N.E. Heartbreak)、「恋でなければ」(If It Isn't Love)、そして大成する後輩グループの名前の由来ともなるジョニー主導の「ボーイズ・トゥ・メン」(Boys To Men) といった楽曲チャートをにぎわせた。

※この「ニュー・エディション」の解説は、「ジョニー・ギル」の解説の一部です。
「ニュー・エディション」を含む「ジョニー・ギル」の記事については、「ジョニー・ギル」の概要を参照ください。

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