こう‐はい【後輩】
後輩
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後輩(こうはい)とは、学校・会社などの社会集団において、入学もしくは就職年度の集団への参加が遅い者を指す。先輩・後輩における支配隷属関係を重んじる集団においては劣位者として差別されるべき存在と位置づけられ、権威主義的支配を受け、暴力・人格否定を伴ういじめを受ける面が見られる。
- ^ 三輪(2000:93-94)では、この当時の日本標準語の待遇表現についての認識を示したものとして、非相互的な敬語使用は、上司部下だけでなく、上級生下級生、先輩後輩の間にもあり、特に部活の先輩後輩には顕著なようであるという内容を提示している。そのあとで、三輪は、「そして上に対して丁重な敬語を使うものは往々にして下にたいしてぞんざい尊大な話しぶりになり、しかも下からは丁重な敬語を要求して、その些細な誤りでも咎めだてするところがある。日本語敬語は上位者にとっては心地よい言語であろうが、下位者にとっては不愉快なことの多い言語である。上司部下と先輩後輩との言葉遣いの非相互性は、後輩が上司になったり、逆に先輩が部下になったりした時、双方にしばしば深刻な感情問題を引き起こすこともよく知られる。」と、日本標準語規範主義待遇表現を、「日本語敬語」と位置付けて、その支配従属関係の明示性が、社会上屈服させられ劣位におかれたものの自尊心を傷つけることを指摘している。
- ^ 蒲谷他(1998:8)では、後輩(後に入ったもの)を『-1』、先輩(先に入ったもの)を『+1』に位置づける場合があるとして、より明確に組織に入った順番で固定的な支配権ポイントを自動的に割り振る日本標準イデオロギーを述べている。
- ^ 『日本の中学校以上の社会にある「先輩後輩カルチャー」』留年させるなら先輩後輩カルチャーも止めるべきでは?冷泉彰彦執筆NewsweekJapan2012年02月24日付け
- ^ 『韓国の大学生だから、やっぱり先輩/後輩の秩序に同化してしまっていた』年齢差別からの解放?「hituziのブログ 無料体験コース」2005年9月27日付
- ^ 『人間を年齢や学年で区別し「上下関係を規定する」コミュニケーションを止めるる(規範主義的日本語では、『止める』だが、ママ)ということです。先輩には「ですます調」で話し、後輩には「だ、である調」を基調とした権威的な話法で通す、下から上への「異議」は認めない、「先輩」の自尊心は守られ「後輩」は自尊心上の譲歩を強いられるという「無意味なヒエラルキー」』留年させるなら先輩後輩カルチャーも止めるべきでは?冷泉彰彦執筆NewsweekJapan2012年02月24日付け
- ^ 『2人のうち1人に対して、目の前にいる上級生をからかうように指令。渋々従った1年生に対して、怒った2年生が殴る、蹴るの暴行を加えた。さらに、上級生はこの1年生に、別の2年生のところにも行って、同じようにからかうように指令。指示に従うしかなかった1年生は、最後は鼻の上に飛び乗られるなど、1度目を上回る激しい暴行を受けた。』「明らかないじめ」PL学園部内暴力詳細 nikkansportsウェブ版2013年4月9日付のアーカイブ
- ^ 『同校寮内で、当時2年生部員4人が1年生部員の腹の上に膝蹴りを加えるなどの暴行。1年生部員はけいれんを起こすなどして、救急搬送された。』PL学園・河野監督が辞任 暴力事件で対外試合禁止中 スポーツ報知ウェブ版2013年4月28日付のアーカイブ
- ^ 『飛び級で大学の物理の授業を受けに来た高校生を、大学生はパーソナルな人間関係でも仲間として迎え入れねばならないし、その高校生に明らかに卓越した才能があれば、大学生は素直に賞賛すべきなのです。逆に文字式の意味が分からなくて中2なのに1年生の数学を受け直している子は、中1の出来る子に丁寧に教えを請えばいいのです。』留年させるなら先輩後輩カルチャーも止めるべきでは?冷泉彰彦執筆NewsweekJapan2012年02月24日付け
- ^ 「年上」「年下」という言葉にそれが表れている。
- ^ 『人間を年齢や学年で区別し「上下関係を規定する」コミュニケーションを止めるる(規範主義的日本語では、『止める』だが、ママ)ということです。先輩には「ですます調」で話し、後輩には「だ、である調」を基調とした権威的な話法で通す、下から上への「異議」は認めない、「先輩」の自尊心は守られ「後輩」は自尊心上の譲歩を強いられるという「無意味なヒエラルキー」を根絶するのです。』『小学校を卒業して中1になった子供たちが「先輩後輩カルチャー」に初めて遭遇して戸惑う現象のことを(科目別に先生が違うことへの不適応も含めて)「中1プロブレム」というのだそうです。ですが、プロブレムがあるのは「先輩後輩カルチャー」を続けてきた中学校のほうで、それに戸惑う新中1生の感性の方が自然ではないかと思うのです。』留年させるなら先輩後輩カルチャーも止めるべきでは?冷泉彰彦執筆NewsweekJapan2012年02月24日付け
- ^ 『わたしが したことは、「さん」づけと敬語の徹底ぐらいなものだ。 』年齢差別からの解放?「hituziのブログ 無料体験コース」2005年9月27日付
- ^ 日本標準語では、下に見られるべき立場のことを「目下」と呼ぶ。
- ^ PL学園野球部「暴力は伝統」だった 番長・清原「1年生のときからアザだらけ」J-castニュース2013年3月4日付のウェブアーカイブ
後輩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 02:57 UTC 版)
「私立ポセイドン学園高等部」の記事における「後輩」の解説
氏名不明。ハゲ頭と左目の上のスペードマークが特徴。先輩を慕っているが冬場のカキ氷や明らかに珍妙な柄の服などおかしな物を勧めている。
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後輩(名前未設定)
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「銀の匙 Silver Spoon」の記事における「後輩(名前未設定)」の解説
八軒の1年後輩の女子生徒で、酪農科学科1年生→2年生。短髪で小柄、「っス」と言う口調が特徴。両親は公務員であり、数少ない非農家生徒の一人である。
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後輩
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佐藤雫(さとう しずく) 声-和仁美里 → 遠野まゆ(再) あいか、美野里、恵令奈の後輩である女子高生。いわゆるバンギャルでマイクを持つと性格が変わる。観月とは別の中学だが、中学3年の冬に知り合う。 宮崎観月(みやざき みつき) 声-平山瑤子(再) 雫の親友で美野里並みの百合趣向の女子高生。中学3年の冬に知り合った雫を偏愛しており、雫以外には慇懃無礼な言動が目立ち、チェーンソーの使用も辞さないほどの過激な性格の持ち主で雫が絡むと不穏な言動が多くなる。大金持ちの娘である。
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後輩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 20:58 UTC 版)
ひまり達の1年後輩。 高岡 あいか(たかおか あいか) 富山県高岡市出身。初出は第31話。好物はコーヒースナック。好きなことはひまりに対する影でこっそり監視・観察。入学直後に見たひまりに一目ぼれし、金沢出身と偽ってひまりに接近した。ひまりを「お姉様」と呼び慕う。七緒からはわがままで自分勝手で中二病な性格と評としているものの、素直で可愛くて良い子とも評している。同級生からは孤高の美少女と思われている。また敦子とともに、ひまりに付きまとって生徒会を乗っ取ろうとしていると誤解される。後に生徒会会長に立候補したひまりの後援となり、ひまりの生徒会会長就任に尽力した。アラサー編では28歳で地方局のアナウンサーを勤めている。仕事で能登の小学校を取材中に七緒と敦子と再会する。 能登 七緒(のと ななお) 石川県能登地方出身。5人兄弟の長女であり、後輩トリオのおっとりタイプのまとめ役。初出は第31話。好物はカリブ。同級生からはあいかと敦子に振り回されて気苦労が絶えないと心配されている。アラサー編では28歳で小学校教諭を務めている。インタビューを受ける時に取材に来たあいかと再会する。 若狭 敦子(わかさ あつこ) 福井県嶺南(若狭地方)出身。初出は第31話。金髪に色黒というギャルっぽい見た目だが、プールの塩素で髪の色素が抜けたのと日焼けしやすい体質のためでありマイペースな性格。好物はらっきょと梅と鯖のへしこ。いつも飴(ロリポップ)を舐めている。七緒からは何を考えているか分からないが、素直で可愛くて良い子と評している。同級生からはマイペースギャルと思われている。またあいかとともに、ひまりに付きまとって生徒会を乗っ取ろうとしていると誤解される。アラサー編では28歳で福井県庁職員を務めている。インタビューを受ける時に取材に来たあいかと再会する。
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後輩
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「困った時には星に聞け!」の記事における「後輩」の解説
宝の1年後輩。 高野蒼遥(たかの しげはる) 202号室。無口で、必要なことしか話さない。 高野実(たかの みのる) 寮生ではない。無意識で蒼遥に同情的な言葉をかける。蒼遥より人当たりがよく友人が多いが、遊ぶときにも蒼遥を一緒に入れようとする。見た目は頼りないが、蒼遥の面倒を良く見る芯の強いところがある。昔は心臓が弱かった。 加納双葉(かのう ふたば) 116号室。通称「サル」。清嶺に心酔し、一匹狼であることをカッコいいと思っている。生意気な発言が多く、敵を作り一人になる事が多い。他の人間を群れていると考え見下している。桐原に気に入られてからは振り回され思うように動けず、清嶺どころではない。 桐原一也(きりはら かずなり) 108号室。宝の後任の寮長。 双葉の面倒を見ることを楽しんで、強引な双葉を強引に連れまわしている。 吉原崇(よしはら たかし) 108号室。毎夜、有朋の飼いフェレットが部屋に出ていたが、その正体に気がつかなかったため幽霊が出ていると思い、体調を崩した。
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後輩(2人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 15:21 UTC 版)
いつも困っている時に助言してくれたり調べてくれたりしてくれる先輩想いの2人組である。だーくんの職場の先輩にはあたりが強い。
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後輩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:45 UTC 版)
若手芸人との共演は、当時無名だったナインティナイン、よゐこ、ココリコ、ネプチューンの原田泰造(ネプチューン結成以前の素人時代)が『ねるとん紅鯨団』出演を境に積極的になる。ナインティナインはこれを機に、東京での知名度上昇に成功している。その後、岡村隆史は1997年3月の『とんねるずのみなさんのおかげです』最終回の「仮面ノリダー最終回スペシャル」にてノリダーの分身役を演じた。その後も、ナインティナインの番組にはとんねるずが出演するなどしている。 また1990年代からは吉本興業所属の芸人とも共演が多くなり、「ダウンタウンファミリー」と呼ばれる今田耕司、東野幸治、130R、木村祐一、リットン調査団、雨上がり決死隊、ココリコ、千原ジュニアとも、共演する機会がある。爆笑問題、さまぁ〜ず、ナインティナイン、ロンドンブーツ1号2号、ネプチューン、タカアンドトシ、FUJIWARA、おぎやはぎ、アンジャッシュ、次長課長、千鳥、バナナマン、バッドボーイズ、ダイノジ、くっきー!(野性爆弾)、見取り図らは自らも語る通り、とんねるずの影響を直接受けた世代であり彼らの多くはとんねるずの番組へ多く出演するなどしている。 その一方でダウンタウン(浜田雅功・松本人志)との共演はほとんどなく、共演したのは1994年10月3日放送の『FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル』の1回のみだった(共演はないものの同年の春の祭典や一部の年の『FNS27時間テレビ』では両コンビが揃って出演している)。また、個人同士の共演も長年なかったが、2014年3月31日放送の『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』で約20年ぶりの共演を果たし、これが2回目の共演となった。2016年7月29日放送の『ダウンタウンなう』で浜田の息子と石橋の娘が同じ学校で、よく会っていたことを明かし「普通の時は全然、普通に喋ってるよ」と語っている。2022年5月6日にYouTube公式チャンネルでダウンタウンについて石橋は「誰と不仲とかそういうことではないんだよ。別にダウンタウンと誰と仲が悪いだの、へったくれだのということはないんだから」と不仲を否定した。 ウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆)とはお笑い第三世代の括りで並べられるものの、厳密には年齢、デビュー年、デビュー後の経緯を見るととんねるずの方が先輩にあたる。共に「お笑いスター誕生」出身者であり、とんねるずも出演していた『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』にも数回ではあるが新人のウッチャンナンチャンは出演していた。初共演は『オールナイトフジ』である。その後『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』がスタートするにあたり、1989年4月11日放送の『とんねるずのオールナイトニッポン』に飛び入り出演した。また1990年4月の『とんねるずのみなさんのおかげです』半年間休止のピンチヒッターとして『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』で彼らが抜擢されたのがきっかけで、続編『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』に繋がった。また『とんねるずのみなさんのおかげです』の再開予告CMの終わりには、石橋が「ウッチャンナンチャンさん、ありがとうございました」と礼を述べた。1980年代・1990年代は頻繁に共演していたが、2000年代以降はコンビの共演がなくなったが、はっぱ隊が『うたばん』に出演する等単独では度々共演している。ダウンタウンと同じく『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』にて、久しぶりにコンビ揃っての共演を果たした。
※この「後輩」の解説は、「とんねるず」の解説の一部です。
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後輩
「後輩」の例文・使い方・用例・文例
- その後輩はすでに役目を終えた
- 私は私が所属していたバスケット部の後輩の試合を見に行った。
- これは私の高校時代の後輩による写真展です。
- 後輩にその業務を引き継いだ。
- この研究を後輩に引き継ぐ。
- 私は後輩にその仕事を教えた。
- 私は後輩の女性に円らな瞳で見つめられた。
- 私は後輩を引っ張って行く立場になるのです。
- 実は彼は私の高校の後輩です。
- 会社の先輩と後輩
- 後輩に負けたくない。
- 彼は優しく、留学生や後輩から慕われている。
- 彼は私より3年後輩です。
- 後輩にノートPCをかりた。
- 俺も後輩にアドバイスする歳になったか。
- (会社で)彼は何人もの後輩に追い越されてしまった.
- 彼は僕らよりずっと後輩だ.
- あいつは後輩のくせにこづらにくいことを言う.
後輩と同じ種類の言葉
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