2000年 - 2003年:自主映画への出演
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「ライアン・ゴズリング」の記事における「2000年 - 2003年:自主映画への出演」の解説
19歳の時、ゴズリングは「真面目な演技」(英: "serious acting")へ軸足を移すことを決意した。エージェントに辞められ、子ども向けテレビ番組のイメージにも苦しんだため、当初は安定した仕事を得られなかった。アメフトを題材にしたドラマ映画『タイタンズを忘れない』で助演した後、ゴズリングは2001年の映画『ザ・ビリーヴァー(英語版)』で、若いユダヤ人のネオナチ役として主演した。監督のヘンリー・ビーン(英語版)はゴズリングを配役したことについて、モルモン教徒として育てられた経験が、ユダヤ教徒の孤立を理解する助けになると考えたためと明かしている。『ロサンゼルス・タイムズ』紙のケヴィン・トーマスは、「興奮させ、恐ろしいほど圧倒的な」演技だと賞賛したが、『バラエティ』誌のトッド・マッカーシーは、ゴズリングの演技は「極めて頑強で、これ以上うまく演じることはほとんどできないだろう」と評した。映画はサンダンス映画祭でグランプリを獲得し、後にゴズリングは「今のキャリアを包装して自分にプレゼントしてくれたような映画」だったと語っている。作品の内容は議論が残るものだったため、全国劇場公開に必要な金銭的支援を受けるのは難しく、映画は代わりにショウタイムでテレビ放送された。映画は商業的に失敗し、150万ドルの製作費に対し、わずか416,925ドルの興行収入しか得られなかった。 2002年には、サイコスリラー映画『完全犯罪クラブ』に出演してサンドラ・ブロックやマイケル・ピットと共演し、ピットと共に完全犯罪を企てる高校生を演じた。『エンターテインメント・ウィークリー』のリサ・シュワーズバウムは、「こんなくず[役]でも並外れた才能」だと評したが、『バラエティ』誌のトッド・マッカーシーは、「たくましくてカリスマ的な」若い俳優たちが「シナリオに裏切られた」ように感じたとした。映画は商業的に小規模な成功を収め、製作費5000万ドルに対し、世界中で5671万ドルの興行収入を得た。同じ年には『スローター・ルール(英語版)』に出演してデヴィッド・モースと共演し、モンタナ州郊外に住むアメフト選手の高校生と、厄介なコーチとの関係を演じた。ゴズリングは、モースとの共演が自身を「より優れた役者」にしたと語っている。『ニューヨーク・タイムズ』紙のスティーヴン・ホールデン(英語版)は、ゴズリングについて「若かりし日のマット・ディロンを彷彿とさせるような未熟さと強烈さ」を持つ「とてつもない逸材」と述べ、『ロサンゼルス・タイムズ』紙のマノーラ・ダージス(英語版)は彼の「未熟な才能」に説き伏せられたと述べた。映画はアメリカ合衆国の映画館3館のみで公開され、13,411ドルの興行収入を得た。 2003年。ゴズリングは『16歳の合衆国』に出演し、障害を持つ男児を殺した罪で服役させられるティーンエイジャーを演じた。彼は、「全編を通して感情的に支離滅裂な」キャラクターを演じる機会はあまりないので、役に引きつけられたと語っている。『シカゴ・サンタイムズ』紙のロジャー・イーバートは、「才能ある役者のライアン・ゴズリングは、リーランド[=ゴズリングの演じた役名]とできることは何でもやっているが、キャラクターは人生からではなく、作家の自尊心から出来上がっているものだ」と評した。また『ニューヨーク・タイムズ』のA・O・スコットは、「彼はリーランドをありきたりの筋だらけのところから救おうと苦労した」と述べた。『バラエティ』のデイヴィッド・ルーニーは、「[彼の]一本調子で完全に動揺した演技には、出世作『ザ・ビリーヴァー』のような魅力的な側面などひとつも無い」と評した。
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