田淵幸一とは?

たぶち‐こういち〔‐カウイチ〕【田淵幸一】


田淵幸一

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田淵幸一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 04:32 UTC 版)

田淵 幸一(たぶち こういち、1946年9月24日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手捕手内野手)・指導者(監督コーチ)、野球解説者野球評論家タレント阪神タイガースOB会会長(第6代)。




注釈

  1. ^ この事態に衝撃を受けた球界は、以後耳つきヘルメットを使用することになった。
  2. ^ 現在に至るまで捕手としては最後の本塁打王獲得者
  3. ^ ただし、「ホワイトに骨折が判明し、試合に出られる状態ではないのにベンチに入って声を出していた姿に感激して、おそらく解雇になるだろうホワイトの幸運を祈った」と自著[要文献特定詳細情報]に記している。
  4. ^ 田淵以前の例として、阪神などの監督を歴任後に、西鉄ライオンズの投手コーチや初代監督だった広島カープのヘッドコーチを務めた石本秀一がいるが、石本はプロ野球での選手経験がない一方でアマチュア野球の指導者を経験している点が田淵とは異なる。
  5. ^ 日本プロ野球関係者の野球殿堂表彰式はその年のオールスターゲームの際に執り行われるのが通常であるが、2020年度は新型コロナウイルス感染症拡大の影響でオールスターゲームが開催中止となったため、別途表彰式の機会を設けられた。
  6. ^ 一度だけ試みたが失敗し、その打席で本塁打を打ったため。足が遅いため併殺打になると監督たちが考え、犠打のサインを出さなかった可能性がある(2008年1月17日放送のNHKラジオ「わが人生に乾杯」で本人談)[出典無効]
  7. ^ タブチを含むこの漫画の主要キャラクターの多くは、スターシステムで以降のいしいひさいちの漫画に登場している(現在は『ののちゃん』の体育教師タブチとして二十数年朝日新聞に登場し続けている)。
  8. ^ 阪神で投手の22番は実質的には1948年の長原孝治(巨人から移籍、同年引退)以来だった(形式的には、翌1949年に二重契約問題で入団直後に南海に移籍した江藤晴康を含む)。
  9. ^ その後中嶋聡と背番号を交換して5に変更。その理由は捕手登録ながら外野手での出場が多くなった和田に対して中嶋が「22の方が捕手のイメージが強い」という理由で背番号の交換を持ち掛け、和田も心機一転のため応じたことによる[43]。なお、中嶋以前の5番は仰木彬高木喬辻発彦奈良原浩など内野手が中心だった。
  10. ^ 1989年正月に朝日放送で放映された「新春ビッグ放談」ではこの3人による対談が行われた。
  11. ^ 2018年は文化放送制作分への出演実績がなかった。
  12. ^ TBS・LFQR・ABC発のRCC向けは、裏送りであっても本番カード主体の中堅以上のアナウンサーや解説者が務める例が多かった。

出典

  1. ^ a b 殿堂入り田淵氏「俺ももらったよ」亡き星野氏に報告」『日刊スポーツ』、2020年1月14日。2020年1月14日閲覧。
  2. ^ 福谷佑介 (2020年6月12日). “父は通算474本塁打 フジ田淵裕章アナが野球を諦めた森本稀哲の衝撃”. Full-Count. Creative2. 2020年12月6日閲覧。
  3. ^ 田淵幸一 (2014年11月14日). [虎四ミーティング〜限界への挑戦記〜]田淵幸一さん(野球解説者)<前編>「江夏に鍛えられたキャッチング」. インタビュアー:二宮清純. 講談社, 現代ビジネス.. http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41069?page=4 2020年12月28日閲覧。 
  4. ^ a b c 【11月12日】1968年(昭43) 田淵、山田、東尾…史上最強のドラ1組は交渉も難航 - ウェイバックマシン(2008年1月17日アーカイブ分)
  5. ^ 【田淵幸一物語・第2部(3)】川上監督の殺し文句「ONはさんだ背番号1、2、3が来季の売りだ」」『産経WEST』。2020年12月28日閲覧。
  6. ^ 田所龍一「【田淵幸一物語・第2部(4)】11月12日、運命の日」『産経WEST』、2017年3月4日。2020年12月28日閲覧。
  7. ^ 第8回 1人希望かなった広島1位指名 - ウェイバックマシン(2013年3月6日アーカイブ分)
  8. ^ 田淵阪神入団までの経緯[リンク切れ]
  9. ^ 田所龍一「田淵指名は早実・王を巨人に奪われた恨み?」『』、2017年3月8日。2020年12月28日閲覧。
  10. ^ 田所龍一「【田淵幸一物語・第2部(11)】背番号「22番」は2年前のドラ1から略奪」『産経WEST』、2017年3月14日。2020年12月28日閲覧。
  11. ^ 二宮清純「田淵幸一、“頭部死球”の産物」”. 現代ビジネス (2013年6月7日). 2020年8月14日閲覧。
  12. ^ 【9月9日】1973年(昭48) 田淵敬遠で始まり田淵敬遠で終わった安田猛の無四死球記録」『スポニチ Sponichi Annex』。2020年7月30日閲覧。オリジナルの2015-12-11時点におけるアーカイブ。
  13. ^ 【5月31日】1975年(昭50) 舞台裏は見せません!田淵幸一、右腕だけで打った本塁打」『スポニチ Sponichi Annex』、2009年5月1日。2020年7月30日閲覧。
  14. ^ 【野球】過去104人が務めた“猛虎の4番”最も多く本塁打を打ったのは?」『デイリースポーツ』、2020年5月11日。2020年12月28日閲覧。
  15. ^ 【5月8日】1983年(昭58) “タブラン”なんて言わせない 田淵幸一 3年ぶり盗塁成功」『スポーツニッポン』、2011年5月8日。2020年12月28日閲覧。
  16. ^ 永瀬郷太郎「気がつけば40年(8)1983年日本シリーズ江川を打った田淵幸一6日間のリハビリ特打」『スポーツニッポン』、2020年8月14日。2020年12月28日閲覧。
  17. ^ 田坂貢二「松井監督へのロードマップは? 早く聞きたい「マツイの野球観」」『東奥日報』(共同通信社)、2013年5月15日。オリジナルの2015-04-02時点におけるアーカイブ。
  18. ^ 『阪神の馬鹿力 昔、タイガースになにがあったのか。』大洋図書〈ミリオンムック〉、2002年、[要ページ番号]ISBN 4-81300-639-6
  19. ^ 星野仙一『夢 命を懸けたV達成への647日』角川書店、2003年、175頁。ISBN 4-04-883851-2
  20. ^ テリー伊藤 2004, p. 78
  21. ^ 河村英文 1991, p. 25
  22. ^ a b 『週刊プロ野球データファイル』第30号、ベースボール・マガジン社、2011年、 33-34頁。
  23. ^ ホークス九州 2008, p. 28
  24. ^ ホークス九州 2008, p. 34
  25. ^ 『日本プロ野球事件史 1934-2013 秘蔵写真で振り返る衝撃のプロ野球史』ベースボール・マガジン社、2013年、98頁。ISBN 9784583619323
  26. ^ 田所龍一「【ダイエーホークス創世記(3)】父子鷹に“事件” 寝業師の父 vs 王道の御曹司」『産経ニュース』、2015年1月3日。2020年12月28日閲覧。
  27. ^ 【阪神新コーチに聞く・浜中打撃コーチ(下)】上と下が連動すればもっと打球が飛ぶ」『デイリースポーツ』、2018年11月10日。2020年12月28日閲覧。
  28. ^ 千葉功「記録の手帳 連載2438回「最後の五輪野球でまさかの大惨敗星野japanの敗因を徹底検証する」」『週刊ベースボール』9月15日号、ベースボール・マガジン社、2008年、 79頁。
  29. ^ コーチ人事について”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年6月5日). 2020年12月28日閲覧。
  30. ^ 来季のコーチ契約について”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2012年10月8日). 2020年12月28日閲覧。
  31. ^ 広岡達朗氏 田淵氏の殿堂入り祝福、西武時代の監督「正直で真面目な男が認められた」」『スポーツニッポン』、2020年1月14日。2020年11月20日閲覧。
  32. ^ “田淵幸一氏 2020年野球殿堂入り表彰式を開催しました!” (プレスリリース), 野球殿堂博物館, (2020年8月18日), オリジナルの2020年9月22日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20200922083413/http://www.baseball-museum.or.jp/baseball_hallo/news/detail.html?id=1434 2020年8月18日閲覧。 
  33. ^ 近藤唯之『引退 そのドラマ』新潮社新潮文庫〉、1986年、[要ページ番号]ISBN 4-10-132204-X
  34. ^ 神田さやか「【プロ野球通信】田淵幸一氏「宝は落ちている」 殿堂入りの原点は高校時代」『産経新聞』、2020年1月25日。2020年6月16日閲覧。
  35. ^ 球辞苑~プロ野球が100倍楽しくなるキーワードたち~「グリップ」 NHK BSオンライン
  36. ^ 『豪打列伝 プロ野球不滅のヒーローたち』Sports Graphic Number 編、文藝春秋文春文庫ビジュアル版〉、1986年、[要ページ番号]ISBN 4-16-810801-5
  37. ^ テリー伊藤 2004, p. 83
  38. ^ 河村英文 1991, p. 99
  39. ^ 田淵幸一『ホームランだけが人生だ プロ野球ファンに捧げる豪打一発』光文社〈カッパ・ノベルス ノンフィクションシリーズ〉、1983年、[要ページ番号]ISBN 4-334-02522-6
  40. ^ 現役時の野村克也氏 田淵幸一氏を「こいつダメ」と感じた瞬間」『週刊ポスト』1月1・8日号、2016年、2020年12月28日閲覧。
  41. ^ 吉田義男「田淵氏殿堂入り「阪神球史に残る大打者」」『日刊スポーツ』、2020年1月14日。2020年9月14日閲覧。
  42. ^ タブチくんが田淵氏祝福「殿堂入り当然と思います」」『日刊スポーツ』、2020年1月14日。2020年1月26日閲覧。
  43. ^ 【背番号物語】西武「#5」辻の系譜を「気分一新で」着けた和田。最長は名将として大成した二塁手 - 週刊ベースボールONLINE、2021年4月18日、11:04配信、ベースボール・マガジン社
  44. ^ 歌劇』3月号、宝塚クリエイティブアーツ、1969年、 [要ページ番号]
  45. ^ 田淵幸一氏「『おい早いよ』と言いたい」 星野さんと背番号まで長生きする約束あった」『サンケイスポーツ』、2018年1月8日。2020年6月14日閲覧。
  46. ^ 「山本浩二」『豪打列伝2』Sports Graphic Number 編、文藝春秋〈文春ビジュアル文庫〉、1991年、[要ページ番号]ISBN 4-16-810817-1
  47. ^ 講談社宇佐美徹也著「プロ野球記録大鑑」435ページ





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