中野武二とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 中野武二の意味・解説 

なかの‐たけじ【中野武二】


中野武二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 01:07 UTC 版)

中野 武二

中野 武二(なかの たけじ、1884年11月15日 - 1947年3月21日)は、東京都出身の野球選手審判員中野武営の子[1]

経歴

1897年に東京高師附属小学校(現 筑波大附属小)、1902年に東京高師附属中学校(現 筑波大附属中高)を卒業し、1904年第一高等学校へ進む。野球部で二塁手として活躍し、守備の良さから当時難攻不落と言われた旅順要塞にちなんで「老鉄山」と呼ばれた[2]1905年から2年間、主将を務めた[2]

東京帝国大学に進学後も第一高校野球部にコーチとして残り、内村祐之、中松潤之助のバッテリーを育てた[2]

また当時は選手が審判を務めており、中野の明快で公平なジャッジには定評があり、当時日本球界最高の対戦と言われた早慶戦や国際試合でチーフ・アンパイアに起用される事も多かった[2]

1919年には、1921年までに芝浦に12000坪の鉄筋コンクリート製の球場を作ると同時にそこを拠点とするプロ球団「東京野球倶楽部」を設立する構想を立てたが実現することはなかった[3]1932年野球統制令における野球統制臨時委員メンバー

1972年野球殿堂入り。

脚注

  1. ^ 中野武二 デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ a b c d 『野球殿堂 2012 The Baseball Hall of Fame』(2012年、ベースボール・マガジン社)、P.37
  3. ^ 大平昌秀著 異端の系譜 p115

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中野武二」の関連用語

中野武二のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中野武二のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中野武二 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS