郷司裕とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 郷司裕の意味・解説 

ごうし‐ひろし〔ガウシ‐〕【郷司裕】


郷司裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 04:58 UTC 版)

郷司 裕
基本情報
国籍 日本
出身地 北海道釧路市
生年月日 (1932-01-19) 1932年1月19日
没年月日 (2006-12-12) 2006年12月12日(74歳没)
選手情報
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年 2017年
得票率 85.7%(14票中12票)
選出方法 特別表彰

郷司 裕(ごうし ひろし、1932年昭和7年)1月19日[1] - 2006年平成18年)12月12日[2])は、日本の野球審判。元日本学生野球協会常任理事。

人物

北海道釧路市出身[3]

旧制明治中学校(現:明治大学付属明治高等学校・中学校)時代に身体を壊して野球が出来なくなった時に野球部監督であった島岡吉郎から「選手でダメなら審判をやれ」と審判への転向を勧められる[3]

明治大学卒業後に日本放送協会(NHK)に入職し、運動部記者を務めていたが、父親の事業を継ぐためにNHKを退職。事業の傍らアマチュア野球審判員となり[3]、半世紀余りを高校、大学、社会人の各大会で2,000を越える試合でマスクをかぶった。特に、夏の甲子園では決勝戦の球審を13回務め、1965年1975年まで実に春夏通算11年連続決勝戦の球審を務めた

郷司の次男の証言によれば、「(父が)プロの審判員にならなかったのは事業継承のためであった」とのことである[3]

俳優の高倉健は大学時代の同期である。

審判員引退後は日本高等学校野球連盟にて審判規則委員や理事などを務めた[2]

2006年平成18年)12月12日19時2分、肺炎のため東京都町田市の病院で死去[2]。74歳没。

2017年度の野球殿堂特別表彰部門表彰者に選出された[4]

担当した主な試合

脚注

  1. ^ 平成29年野球殿堂入り発表!(郷司裕)』(プレスリリース)野球殿堂博物館、2017年1月16日http://i.baseball-museum.or.jp/baseball_hallo/news/halloffame2017_01.html2017年1月16日閲覧 
  2. ^ a b c 郷司裕氏死去/元日本高野連理事 四国新聞 2006年12月13日
  3. ^ a b c d 殿堂入りの人々を語る(56)」『野球殿堂博物館 Newsletter』第27巻第2号、野球殿堂博物館、2017年8月3日、3頁。 
  4. ^ 平成29年 野球殿堂入り発表 伊東氏、星野氏、平松氏、郷司氏、鈴木氏が殿堂入り』(プレスリリース)野球殿堂博物館、2017年1月16日http://i.baseball-museum.or.jp/baseball_hallo/news/halloffame2017_02.html2017年1月16日閲覧 

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「郷司裕」の関連用語

郷司裕のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



郷司裕のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの郷司裕 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS