村山龍平とは? わかりやすく解説

むらやま‐りょうへい【村山竜平】

読み方:むらやまりょうへい

[1850〜1933]新聞経営者三重生まれ明治14年(1881)大阪で「朝日新聞」を譲渡され経営専心また、明治21年1888)、「東京朝日新聞」を創刊し、のちに東西朝日合併した


村山龍平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 03:38 UTC 版)

村山 龍平

村山 龍平(むらやま りょうへい、1850年5月14日嘉永3年4月3日) - 1933年昭和8年)11月24日[1][2])は、日本新聞経営者。朝日新聞社社主社長政治家衆議院議員貴族院議員玉城町名誉町民第1号[3]

来歴・人物

嘉永3年(1850年)、伊勢国田丸(現・三重県度会郡玉城町)に生まれる。幼名は直輔[4]。 実家は紀州藩旧田丸領に仕えた旧士族。幼少時代は腕白ガキ大将で、喧嘩に負けそうになると小刀を振り回し、両親や近所の人を困らせていた[4]。しかし文久3年1863年)冬に、母が重病になってからは改心し、母の平癒を祈り、冷静沈着な少年に変わった[4]慶応3年(1867年)からは田丸城に勤番した。

明治4年(1871年)に一家を挙げて大阪に移住[4]し、父とともに西洋雑貨商「村山屋」(後に「田丸屋」→「玉泉舎」)を営む。明治11年(1878年)7月に大阪商法会議所(大阪商工会議所の前身)の最初の議員に選ばれる[5]

明治12年(1879年)に朝日新聞の創刊に参加。明治14年(1881年)、木村平八・騰父子から同紙の所有権を獲得、上野理一と共同経営にあたる(明治41年(1908年)以後は1年おきに社長)。

明治24年(1891年)に第1回衆議院議員総選挙補欠選挙で衆議院議員に当選[6]。以後、第2回第3回総選挙で当選し、衆議院議員を通算三期務めた。その他、大阪府会議員、大阪市会議員などを歴任。大正7年(1918年)に白虹事件で暴行を受ける。昭和5年(1930年)12月23日に貴族院勅選議員となり[7][8]、死去するまで在任[1][9]

昭和8年(1933年)に84歳で死去。勲一等瑞宝章、従四位を追贈された。娘婿は村山長挙(後の朝日新聞社長)。

栄典

逸話

野球との関わり

第1回全国中等学校優勝野球大会の始球式を行う村山(右)

朝日新聞社社長時代に全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)の創設を決断、第1回大会では羽織袴姿にて開会式の始球式を務めた[5]日本の高校野球発展の礎となった夏の甲子園大会創設の功績が讃えられ、全国高等学校野球選手権大会誕生100周年でもある2015年に野球殿堂特別表彰者に選出された[12][13]

茶の湯の会

龍平は、美術蒐集家、近代数寄者としても有名で号を玄庵、香雪と称した。晩年は事業の傍ら茶事を再々行い、明治35年(1902年)大阪の実業界を中心に茶の湯の会を起こした。毎年命日(11月24日)を期して追福茶会が催されている。

記念施設

  • 村山龍平記念館 - 1983年(昭和58年)4月3日田丸城跡に村山家からの多額の寄付を受けて開館[14]。田丸城の敷地は現在、玉城町有となっているが、村山龍平の寄付金をもって旧・田丸町が払い下げを受けたものである[15]
  • 香雪園 - 村山龍平生誕の地に1934年(昭和9年)に記念碑を建て、村山家の援助を得て小公園として整備した[15]1937年(昭和12年)7月15日、隣接地に三重県初の50mプールが落成し、村山家から寄贈された[15]。このプールは「玉城町営プール」として現在も小池流古式泳法の練習や町民のスポーツ活動の場として利用されている[16]
  • 香雪美術館(村山邸の一部)
香雪美術館

関連作品

脚注

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』171頁。
  2. ^ 『官報』第2073号、昭和8年11月28日、p.719
  3. ^ 伊勢文化舎(2008):58 - 59ページ
  4. ^ a b c d 金子(1983):273ページ
  5. ^ a b 金子(1983):274ページ
  6. ^ 『官報』第2315号、明治24年3月23日、p.236
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
  8. ^ 『官報』第1198号、昭和5年12月24日、p.651
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、43頁。
  10. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。
  11. ^ 『官報』号外、「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
  12. ^ 平成27年 野球殿堂入り記者発表 野球殿堂博物館プレスリリース 2015年1月23日付
  13. ^ 村山龍平氏・古田敦也氏らが野球殿堂入り 朝日新聞 2015年1月23日閲覧
  14. ^ 金子(1983):277ページ
  15. ^ a b c 金子(1983):275ページ
  16. ^ 広報たまき編集委員会 編(2007):4ページ
  17. ^ 片山香帆 (2019年7月1日). “『いだてん』阿部サダヲの魅力が全開! 第一部とガラリと変化した第二部の猛スピード展開”. Real Sound映画部. 2019年7月7日閲覧。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 金子延夫『玉城町史 二巻 -南伊勢の歴史と伝承-』三重県郷土資料叢書第91集、三重県郷土資料刊行会、昭和58年12月10日
  • 広報たまき編集委員会 編『広報たまき 平成19年10月号』No.414、玉城町役場総務課、16p.
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、平成20年12月23日、151p. ISBN 978-4-900759-37-4

関連項目

  • 住吉村 (兵庫県)
  • 阪急神戸本線 - 建設当時、ルート上に自宅(現在の香雪美術館)の一部が被ったため、近所の住民を誘って反対運動を繰り広げた。結果的に同線は村山の自宅を避けたため、御影駅手前に不自然なS字カーブができてしまう。

外部リンク

先代
-
朝日新聞社社長
(1881年~1908年)
次代
上野理一
先代
上野理一
朝日新聞社社長
(1909年~1910年)
(1911年~1912年)
(1913年~1914年)
(1915年~1916年)
(1917年~1918年)
次代
上野理一
先代
上野理一
朝日新聞社社長
(1919年~1933年)
次代
上野精一



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