奈須川光宝とは? わかりやすく解説

奈須川光宝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 01:02 UTC 版)

奈須川 光宝(なすがわ みつとみ、1855年9月2日安政2年7月21日[1]) - 1926年昭和元年)12月29日)は、日本の政治家青森県八戸町長、衆議院議員

来歴・人物

八戸城下の八戸藩士川勝家の子として生まれる。1862年文久2年)に奈須川光武の養子となる。八戸初の英学校である開文舎で英語などを学び、1875年(明治8年)に八戸小学校の教諭となる。

1885年(明治18年)に青森県会議員に初当選。1888年(明治21年)に県会副議長を務め、翌年に自由党系の政治結社である八戸土曜会を結成した。

1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙に青森県第1区から出馬し当選。その後、第5回第6回総選挙で当選し、衆議院議員を通算三期務めた。

1913年大正2年)から1918年(大正7年)まで八戸町長を務める。

政策・政治活動

1881年(明治14年)から1884年(明治17年)にかけて、青森県の産馬セリ代の管理をめぐって起きた産馬騒擾事件では、民営化側のリーダーとなった。また1918年(大正7年)には鮫港修築に関して期成同盟会を結成している。

脚注

  1. ^ 『青森県議会史 明治1-23年』834頁。

参考文献

  • 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 青森県議会史編纂委員会編『青森県議会史 明治1-23年』青森県議会、1962年。

関連項目

先代
北村益
第5代八戸町
1913年 - 1918年
次代
北村益




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