一柳東一郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 一柳東一郎の意味・解説 

一柳東一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 00:15 UTC 版)

一柳 東一郎(ひとつやなぎ とういちろう、1925年3月8日[1] - 2016年6月7日)は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞社社長

来歴・人物

東京都出身。東京帝国大学文学部卒。1948年朝日新聞東京本社入社。札幌支局、政治部を経て、1964年論説委員、1966年政治部長、1967年東京本社編集局次長、1970年7月西部本社編集局長、1973年9月東京本社編集局長、1977年12月取締役・東京本社編集局長、1978年12月常務取締役・大阪本社代表、1982年6月代表取締役専務取締役・大阪本社代表、1983年10月副社長と歴任して、1984年12月社長に就任。営業成績の伸び悩みから、1985年3月に常務会メンバーを中心とする「長期ビジョン懇談会」を設置し、全社員にアイディアを求めて長期経営戦略をまとめ、新聞という単一商品依存型の経営から脱皮し、総合情報産業として立つことを目指し、新媒体として1988年に『AERA』、『ASAHIパソコン』、1989年に『月刊ASAHI』を創刊したが、1989年4月に朝日新聞社のカメラマンが沖縄県西表島珊瑚に傷を付け、その写真を基に記事を捏造した珊瑚事件で同年6月に引責辞任した。2016年6月7日に東京都三鷹市内の病院で心不全のため死去。満91歳没。

脚注

  1. ^ “一柳東一郎 ひとつやなぎ-とういちろう”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E6%9F%B3%E6%9D%B1%E4%B8%80%E9%83%8E-1103579 2019年9月3日閲覧。 

参考文献

  • 朝日新聞社百年史編修委員会編『朝日新聞社史 昭和戦後編』朝日新聞社、1994年
先代
渡辺誠毅
朝日新聞社社長
(1984年~1989年)
次代
中江利忠



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「一柳東一郎」の関連用語

一柳東一郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



一柳東一郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの一柳東一郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS