さわむら‐えいじ〔さはむらエイヂ〕【沢村栄治】
沢村栄治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 14:41 UTC 版)
沢村 栄治(さわむら えいじ、旧字体: 澤村 榮治、1917年〈大正6年〉2月1日 - 1944年〈昭和19年〉12月2日)は、三重県出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。
注釈
- ^ 太平洋戦争時の喪失船舶明細表(汽船主体) (PDF) (35頁参照)によると、1944年12月2日に航行していた輸送船沈没箇所は屋久島沖西方となっている。
- ^ 『日本商船隊戦時遭難史』(海上労働協会)によれば、当日にシーデビルの攻撃を受け沈んだ輸送船は「安芸川丸」(川崎汽船、6,895トン)および「はわい丸」(南洋海運、9,467トン)の2船と記録されており、このどちらかに乗船していたものと考えられる。
- ^ 同日付け官報号外第77号48ページ1段目の左から13人目。本籍地三重県・元陸軍関係の欄に、新字体の「沢村栄治」で掲載。戦前に受けていた勲八等(白色桐葉章か瑞宝章かは不明)からの昇叙。
- ^ 大日本東京野球倶楽部の創設(これが日本初のプロ野球リーグ創設につながった)から数えての年数である。日本初のプロ野球チームは1920年創立の日本運動協会。
- ^ ただし、近藤道郞著、『今日も明日も阪神タイガース!』(講談社+α文庫)61ページには、「絵柄は打者の景浦将、投手の沢村栄治」との記述がある。
出典
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- ^ “ジョンソン“無冠”でも沢村賞 バッキー以来52年ぶり助っ人受賞”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2016年10月25日) 2023年3月25日閲覧。
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- ^ 『不滅の大投手 沢村栄治』66頁
- ^ 先人たちの底力 知恵泉・選「野球が愛されるわけ 沢村栄治の挑戦」 - NHK 2017年7月29日。根拠として番組内では官報が示された。同様に日米野球に参加できたのは大学生ではなく大学生OBが中心であった。沢村は日米野球か早慶戦か大いに悩んだという
- ^ 『サムライ達のプロ野球』28頁
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- ^ 『読売新聞』昭和9年11月21日付
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- ^ https://www.jiji.com/jc/v4?id=moshimo_sawamura0003
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- ^ 『【沢村栄治 栄光の伝説(10)】ふてくされた巨人・沢村栄治、茂林寺で変わる』週刊ベースボールONLINE、2017年6月27日
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- ^ 『後楽園球場のサムライたち』44頁
- ^ 佐野眞一『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀 上巻』文春文庫(2000年)
- ^ 沢村栄治さん親族が法要 背番号14石碑残し『毎日新聞』2017年12月13日付
- ^ 沢村栄治生誕100周年記念事業 - 伊勢市
- ^ a b 『サムライ達のプロ野球』24頁
- ^ 『プロ野球 豪球魔球100人 ホームラン 2月号』日本スポーツ出版社、1989年
- ^ 【日本ハム】有原「7,8割」で捕手“破壊”
- ^ 山口千万石氏死去 故沢村投手の相手捕手
- ^ 私の甲子園(1)沢村栄治の一人娘
- ^ 山口千万石氏(故沢村栄治投手とバッテリーを組んだ捕手)老衰のため死去
- ^ 沢村栄治(1917~1944)
- ^ Sports Graphic Number 125号、NHKおしゃべり人物伝「沢村栄治」1984年10月19日放送
- ^ https://www.youtube.com/watch?v=1dKaXg5CdDw
- ^ http://www.nikkei.com/article/DGXZZO70816220X00C14A5000000/
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- ^ 永田陽一『東京ジャイアンツ北米大陸遠征記』東方出版、2007年3月
- ^ “幻の“日本シリーズ” ~フィルムからよみがえる選手たち~”. NHK (2015年6月11日). 2019年6月23日閲覧。
- ^ 『不滅の大投手 沢村栄治』177頁
- ^ 『日本プロ野球偉人伝 1934~1940』
- ^ 『巨人軍の男たち』10頁
- ^ 『不滅の大投手 沢村栄治』41頁
- ^ 『サムライ達のプロ野球』26頁
- ^ 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』23頁
- ^ 『巨人軍の男たち』11頁
- ^ 『報知グラフ 別冊 巨人軍栄光の40年』224頁
- ^ 『不滅の大投手 沢村栄治』126頁
- ^ 1937年は春秋の2シーズン制のため、1シーズンでは亀田忠の297個(1940年)が最多
- ^ 『プロ野球記録大鑑』677頁
- ^ 『プロ野球記録大鑑』678頁
沢村栄治(さわむらえいじ)
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「4番サード」の記事における「沢村栄治(さわむらえいじ)」の解説
長島にベーブ・ルースのバットを譲った、かつての日本のエース。
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