ベーブ‐ルース【Babe Ruth】
読み方:べーぶるーす
⇒ルース
ベーブ・ルース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 01:16 UTC 版)
ジョージ・ハーマン・"ベーブ" ・ルース・ジュニア(George Herman "Babe" Ruth, Jr., 1895年2月6日 - 1948年8月16日)は、アメリカ合衆国・メリーランド州ボルチモア出身のプロ野球選手。童顔であったことから「バンビーノ (The Bambino) 」「ベーブ (Babe) 」[注 1]の愛称で呼ばれた。
注釈
- ^ いずれも「赤ん坊」の意。
- ^ 残りの4人はタイ・カッブ、ホーナス・ワグナー、クリスティ・マシューソン、ウォルター・ジョンソン
- ^ この記録は、1974年にハンク・アーロンによって破られるまでの39年間、MLB通算最多記録であった。
- ^ この記録は、1961年にロジャー・マリスによって破られるまでの34年間、MLBシーズン最多記録であった。
- ^ セント・メアリーでは、少年たちの将来のために様々な職業訓練を行っており、ルースは仕立屋になるための訓練を受けていた。
- ^ ルース自身の成人時の身長は6フィート2インチ=約188cmであった。
- ^ なお、著者は同書の執筆にあたって、当時の日本で入手可能な参考文献として、R・クリーマー著・宮川毅訳『ベーブ・ルースの内幕』と、ルース本人著・宮川毅訳『ベーブ・ルース自伝』(いずれもベースボール・マガジン社刊)を、さらに電話取材先として「ベーブ・ルースの生家兼博物館」理事長のマイケル・ギボンズを挙げている。
- ^ 決して父と折り合いが悪かったわけではなく、件の酒場は後にプロ野球で成功したルース自身が、それまでよりもっと立派な酒場を父に提供したものであり、ルース自らもシーズンオフに働くことで客を集めている[1]。
- ^ 現在のオリオールズ球団とは無関係であり、当時はマイナーリーグチーム。
- ^ この試合では代わってマウンドに上がったアーニー・ショアが9回終了まで投げ抜き、史上初の継投によるノーヒットノーランが成立した。なお、1991年に記録の見直しが行われるまで、この試合はショアによる完全試合という扱いであった。
- ^ メジャーリーグ以外では、韓国プロ野球で金城漢(ヘテ)が1982年に1回、日本プロ野球で大谷翔平(日本ハム)が2014年と2016年の2回達成している。
- ^ 154試合制での記録。後に2001年のシアトル・マリナーズが162試合で116勝を達成している。
- ^ なお、この60号本塁打の有名な記録映画があるが、ヤンキースは1928年まで背番号を採用していなかったにもかかわらず、背中にくっきりと背番号「3」を背負っている。これは、のちに撮影したものを脚色したり編集したりしたものと見られている[6]。
- ^ それまでもオープン戦などでマウンドに上がることは度々あった。
- ^ 現在の独立リーグチームであるニューアーク・ベアーズとは別。
- ^ これは、自分がどんな良いことをして感謝されてもすぐに忘れてしまうというルースの性格をよく表すエピソードとしても有名であり、後年ジョニーも壮年になってから読んだルースの伝記でそのことを知ったが、気にしていないと語っている[7]。
- ^ なお、ジョニー・シルベスターは1990年1月8日に死去したが、彼が亡くなったときには、本エピソードの少年として日本の新聞の訃報記事にも掲載されている[8]。
- ^ ルース引退後にゲーリッグは493本、フォックスは534本まで記録を伸ばした。
- ^ 当時は当然テレビもない。アメリカでテレビ放送が始まったのは第二次世界大戦中の1941年である。
出典
- ^ 久米穣著『少年少女伝記文学館 ベーブ・ルース』(1989年、講談社)より[注 7]。
- ^ 久米穣著『少年少女伝記文学館 ベーブ・ルース』(講談社)
- ^ “Los Angeles Angels' Shohei Ohtani joins Babe Ruth as only players in MLB history to have at least 10 HRs and 10 wins in same season” (英語). www.espn.com (2022年8月10日). 2022年8月10日閲覧。
- ^ David Vincent 2008, p. 57
- ^ “Most expensive baseball bat sold at auction” (英語). Guinness World Records. 2014年3月6日閲覧。
- ^ a b 伊東一雄『メジャーリーグこそ我が人生:パンチョ伊東の全仕事』サンケイスポーツ、60-61頁。
- ^ 久米穣著『少年少女伝記文学館 ベーブ・ルース』(講談社)など。
- ^ 福島民報1990年1月9日紙面など。
- ^ 久米穣著『少年少女伝記文学館 ベーブ・ルース』(講談社)
- ^ Pittsburgh Post-Gazette: "Babe Ruth Dies in New York Hospital, Aged 53", Tuesday, August 17, 1948, p.15
- ^ 伝記より。
- ^ “大谷翔平初のホームスチール! ベーブ・ルースは成功8回、失敗7回”. 日刊スポーツ (2021年9月1日). 2022年8月5日閲覧。
- ^ 阪神甲子園球場のベーブ・ルースのレリーフをボルチモアの「総合スポーツ記念館」へ寄贈 - 阪神甲子園球場 株式会社阪神タイガース 2005年3月28日 (PDF)
- ^ 博物館だより 第24号 富山市郷土博物館 1999年1月31日
- ^ 日本プロ野球偉人伝vol1 ベースボールマガジン社P20
- 1 ベーブ・ルースとは
- 2 ベーブ・ルースの概要
- 3 人物
- 4 逸話
- 5 詳細情報
- 6 脚注
ベーブ・ルース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 03:53 UTC 版)
「1914年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ベーブ・ルース」の解説
この年2月14日、ボルチモアの孤児院セントメリー工業学校の野球部員であったベーブ・ルースは、当時のインターナショナル・リーグ(マイナーリーグ)のボルチモア・オリオールズ(現在の球団とは別)と入団契約を結んだ。そしてすぐにフェデラル・リーグからの選手引抜きの動きを封ずるためにボストン・レッドソックスに金銭トレードされて、この年に投手としてメジャーリーグのデビューを果たした。1914年のルースの打撃成績は5試合出場で、10打数2安打、2打点、本塁打ゼロであった。
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ベーブ・ルース
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「ミタマセキュ霊ティ」の記事における「ベーブ・ルース」の解説
「野球の神様」とまで言われたベーブ・ルースの背後霊。しかし実際は幽子と同じような術で姿を変えただけで本物ではなく、関西弁で話す。
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「ベーブルース」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の野球選手 | ダニー・マートー ブラッド・リッジ ベーブ・ルース リーヴァイ・メイエール フィル・リズート |
ニューヨーク・ヤンキースの選手 | トッド・ジール マイク・ムッシーナ ベーブ・ルース フィル・リズート ジェイ・ハウエル |
ボストン・レッドソックスの選手 | ジェーソン・ジョンソン ケン・アスプロモンテ ベーブ・ルース ジョン・ワズディン マット・ホワイト |
アメリカ野球殿堂 | レイ・シャーク レオン・デイ ベーブ・ルース フィル・リズート ザック・ウィート |
アトランタ・ブレーブスの選手 | カート・アボット ケン・アスプロモンテ ベーブ・ルース マーク・デービス ジェイ・ハウエル |
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