パインタール事件
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パインタール事件(パインタールじけん、Pine Tar Incident)は、1983年7月24日にヤンキー・スタジアムで行われたメジャーリーグベースボール(MLB)のニューヨーク・ヤンキース対カンザスシティ・ロイヤルズ戦で発生し、物議を醸した事件である[1]。一旦は取り消された本塁打が提訴によって復活し、試合の勝敗も覆った。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Eric Chesterton (2018年7月24日). “The 'Pine Tar Incident' remains one of the craziest stories baseball has ever told”. MLB.com. 2022年7月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Text of League President's Ruling in Brett Bat Case”. The New York Times. (1983年7月29日) 2018年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e f Jane Leavy (1983年7月29日). “MacPhail Overrules Umpires, Allows Homer by Brett”. The Washington Post 2018年4月8日閲覧。
- ^ “67: Pine tar nullifies home run, so Brett goes ballistic” (英語). ESPN.com. 2013年9月18日閲覧。
- ^ “Umpires' Ruling Beats the Tar Out of Royals” (英語). Kansas City Star. 2013年9月18日閲覧。
- ^ “Yankees, Royals, courts put an end to Tar Wars” (英語). Pittsburgh Post-Gazette. 2013年9月18日閲覧。
- ^ Ted Berg (2013年7月9日). “Five things you never knew about George Brett's pine-tar incident”. USA Today Sports 2018年4月8日閲覧。
- ^ a b Murray Chass (1983年8月19日). “RESUMED GAME ENDS IN 5-4 YANKEE LOSS TO ROYALS”. The New York Times. 2022年7月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j Shane Tourtellotte (2012年7月18日). “The pine tar games”. The Hardball Times. 2022年7月18日閲覧。
- ^ “Doctored Bats and Baseballs”. Retrosheet. 2022年7月18日閲覧。(違反理由に "Pine tar too far up handle" とあるものを参照)
- ^ a b c “Minnesota Twins 2, New York Yankees 1”. Retrosheet. 2022年7月18日閲覧。(1975年7月19日のツインズ対ヤンキース戦のボックススコア、サーマン・マンソンの適時打が取り消されたことの記述あり)
- ^ a b c d “Kansas City Royals 8, California Angels 7”. Retrosheet. 2022年7月18日閲覧。(1975年9月7日のエンゼルス対ロイヤルズ戦のボックススコア、エンゼルス側がジョン・メイベリーのバットについて抗議と提訴を行って却下されたとの記述あり)
- ^ “New York Yankees 1, Detroit Tigers 0 (2)”. Retrosheet. 2022年7月18日閲覧。(1974年のニューヨーク・ヤンキース対デトロイト・タイガース戦のボックススコア、グレイグ・ネトルズの折れたバットからスーパーボールが出てきて安打を取り消されたことの記述あり)
- ^ a b c “3.02 The Bat” (PDF). Official Baseball Rules 2021 Edition. MLB. pp. 5-6. オリジナルの2022-4-26時点におけるアーカイブ。 2022年4月29日閲覧。
- ^ a b 日本プロフェッショナル野球組織、全日本野球協会 編「3.02 バット」『2021公認野球規則』ベースボール・マガジン社、2021年3月16日、6-7頁。ISBN 978-4-583-11345-6。
- 1 パインタール事件とは
- 2 パインタール事件の概要
- 3 再開試合
- 4 類似の前例
- 5 現在の野球規則
- 6 参考文献
パインタール事件
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「ジョージ・ブレット」の記事における「パインタール事件」の解説
詳細は「パインタール事件」を参照 1983年7月24日、敵地でのヤンキース戦で事件は起こった。3-4とロイヤルズ1点ビハインドで迎えた9回表、2死から安打で出塁したところでヤンキースはクローザーのリッチ・ゴセージ(後ダイエー)をマウンドに送る。この場面でブレットが打席に立ち、逆転の2点本塁打を放った。 ここでヤンキース監督のビリー・マーチンが、ブレットのバットに塗られた松ヤニ(パインタール)の範囲がルールで認められた上限の18インチを超えていると抗議した。球審ティム・マクレランドがこの抗議を認め、違反バットを使用したとしてブレットにアウトを宣告し、ヤンキースの勝利で試合終了となった。マーティンは以前からブレットのバットが違反となる可能性を知っていてそのことを持ち出す機会を窺っており、試合の勝敗に直結するこの場面で指摘したのだった。 ロイヤルズはこの裁定についてアメリカンリーグに提訴した。リーグ会長のリー・マクフェイルは、ブレットがルールの精神を犯したわけではないとしてブレットの本塁打を有効と認め、本塁打直後の5-4の9回表2死から試合を再開するようにと命じた。25日後の8月18日に行われた試合の残りは10分足らずで終了してロイヤルズが勝利し、騒動は終結した。 ブレットは後日談として、「痔の手術を受けた1980年のワールドシリーズ以降は痔に関するヤジに悩んでいたが、この事件後は痔から松ヤニのイメージに変わったので今ではマーチンに感謝している」と述べている。
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