レオン・デイとは? わかりやすく解説

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レオン・デイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 23:01 UTC 版)

レオン・デイ
Leon Day
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 バージニア州アレキサンドリア
生年月日 1916年10月30日
没年月日 (1995-03-13) 1995年3月13日(78歳没)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ニグロリーグ:

  • ボルチモア・ブラックソックス(1934年)
  • ブルックリン・イーグルス(1935年)
  • ニューアーク・イーグルス
    (1936-1939年,1941-1943年,1946年)
  • ボルチモア・エリート・ジャイアンツ(1949-1950年)
殿堂表彰者
選出年 1995年
選出方法 ベテランズ委員会選出

レオン・デイ(Leon Day、1916年10月30日 - 1995年3月13日)は、1930~1940年代にアメリカ合衆国ニグロリーグで活躍していた野球選手。主なポジションは投手バージニア州アレキサンドリア生まれ。右投右打。

奪三振能力に優れ、ニグロリーグで7割以上の勝率を誇った。

来歴・人物

1934年にボルチモア・ブラックソックスに加わり、当時チームの監督兼選手だったハーバート・“ラップ”・ディクソンが1935年にブルックリンのイーグルスへ移る際、ディクソンはデイを引き抜いて一緒に移籍した。ディはこの年イーグルスで9勝2敗の成績を収めてイーグルスの一番手の投手となり、同年のニグロリーグの東西オールスターにも出場した。

イーグルスは所有者エイブ・マンリーの手で1936年にニュージャージー州ニューアークに本拠地を移す。その翌年の1937年、デイは13勝負けなし、打率.320と投打に大活躍する。更に1942年には、ロイ・キャンパネラからの3つの三振を含む1試合18奪三振という当時のニグロリーグ記録を打ち立てている。この頃はニグロリーグのシーズンオフの期間にはプエルトリコでプレーをしており、1試合19奪三振というプエルトリコのリーグ記録も持っている。

1944年と1945年は第二次世界大戦で陸軍に従軍し、ノルマンディー上陸作戦にも参加した。1946年帰還後のシーズン開幕戦で、ニグロリーグ唯一と言われる開幕戦の無安打試合を達成。また同年は打率.353と打つ方でも活躍した。ニグロリーグでは1950年までプレーし、その前後からメキシコやカナダとアメリカのマイナーリーグを行ったりきたりしながら、1955年まで現役選手を続けた。

1995年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り。しかし、その僅か6日後にボルチモアにて心臓発作のため死去する。殿堂入り記念額のデイのユニフォームは、プエルトリコで所属していたチーム「アグアディーヤ・シャーク(Aguadilla Shark:Los Tiburones de Aguadilla)のものである。

記録・表彰等

  • ニグロリーグでの通算勝率:.708

出典・外部リンク




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