マーティン・ディーゴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/13 23:11 UTC 版)
| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | マタンサス州シドラ |
| 生年月日 | 1905年5月25日 |
| 没年月日 | 1971年5月20日(65歳没) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 190 lb =約86.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手、外野手、二塁手、三塁手 |
| プロ入り | 1922年 |
| 初出場 | NLB / 1923年 |
| 最終出場 | NLB / 1945年 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴
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監督歴
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| 選出年 | 1977年 |
| 選出方法 | ニグロリーグ特別委員会選出 |
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キューバ野球殿堂
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| 選出年 | 1951年 |
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この表について
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マーティン・マグダレノ・ディーゴ・リアノス(Martín Magdaleno Dihigo Llanos , 1905年5月25日 - 1971年5月20日)は、キューバのマタンサス州シドラ出身のプロ野球選手(投手、内野手、外野手)。右投げ右打ち。愛称は"El Maestro"(エル・マエストロ)。
経歴
1922-1923シーズンに16歳でキューバ国内リーグ"リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル"のレオネス・デル・ハバナで野球選手としてのキャリアを始めた。
1923年からアメリカ合衆国のニグロリーグのキューバ人選抜チームであるキューバン・スターズ (イースト)に所属し、当初は主に一塁手として出場していた。
ニグロリーグでは1926年にイースタン・カラードリーグの本塁打王のタイトルを獲得した。ニグロナショナルリーグのニューヨーク・キューバンズに所属した1935年にも2度目の本塁打王のタイトルを獲得するなど、打撃面でも目を見張る成績を残した。1936年を最後にニグロリーグを離れた。
キューバリーグでは1927-1928シーズン、1935-1936シーズン、1936-1937シーズン、1941-1942シーズンと計4度のMVPを獲得した。
メキシカンリーグでは1938年に打者として打率.387、また投手としては18勝2敗・防御率0.90の成績を残している。資料によれば[1]、メキシカンリーグ史上最初のノーヒットノーランを達成(1937年9月16日)したのがディーゴだと言われている。また同年、当時の大投手だったサチェル・ペイジと対決した試合があり、その試合では前半にペイジと投手戦を演じたあと、9回に自ら決勝の本塁打を放ってチームを勝利に導くという大活躍をやってのけた。[2]
その後は1945年にニグロリーグのニューヨーク・キューバンズの選手兼任監督として1年だけプレーして、イーストウェスト・オールスターゲーム(ニグロリーグのオールスターゲーム)にも10年ぶりに選ばれた。
1947年にキューバリーグでのキャリアを終え、メキシカンリーグで選手兼任監督としてプレーした。
1950年にキューバリーグで1試合だけ「現役復帰」して2回を投げた。通算107勝76敗は革命前のキューバリーグでは最も多い勝利数である。また、通算121完投もリーグ最多。
フィデル・カストロを早くから支持し、キューバ革命の成功後は亡くなるまでスポーツ省の大臣を務めていた。
1977年にニグロリーグ特別委員会による選考でアメリカ野球殿堂入りを果たした。この他、メキシコ、ベネズエラ、ドミニカ共和国の野球殿堂にも名前を刻んでいる。
プレースタイル
全ての守備位置を経験した。アメリカ野球殿堂入りした名一塁手であるジョニー・マイズは1943年にドミニカ共和国のウィンターリーグで一緒にプレーしたディーゴについて「すべての守備位置をこなすし、走塁も良く、監督もし、左右どちらでも打つことができた」[4]。また、元ニグロリーガーのテッド・ページは「外野からの送球はロベルト・クレメンテよりも優れていた」というコメントを残している[1]。アメリカ野球殿堂入りした元ニグロリーガーのバック・レナードやロサンゼルス・ドジャースのアル・キャンパニスゼネラルマネージャーは今までの人生で見た最高のプレイヤーとしてディーゴを挙げ[5]、高く評価していた。ユーモアがあり、気立ての良いことで知られ、キューバの国民的英雄だった。
詳細情報
獲得タイトル・記録
- NLB
各国リーグ通算打撃・投手成績
- 打撃成績:
打率.307 1418打数 290得点 436安打 71二塁打 19三塁打 68本塁打 309打点 出塁率.389 長打率.528 184四球 47盗塁
- 投手成績:
60試合 42先発 34完投 1完封 27勝19敗 2セーブ 防御率3.34 402.0回 119与四球 7与死球 246奪三振
- 打撃成績:
打率.298 長打率.408 2093打数 619安打 99二塁打 42三塁打 17本塁打 356得点 53盗塁
- 投手成績:
107勝56敗(1位) 121完投(1位)
- 打撃成績:
打率.317 出塁率.420 長打率.490 OPS.910 1917打数 607安打 110二塁打 29三塁打 55本塁打 370打点 185三振 327四球 14死球 7犠打 366得点 57盗塁
- 投手成績:
213試合 133先発 119勝57敗 防御率2.84 1523.2回 460与四球 21与死球 1066奪三振
脚注
- ^ a b “Martin Dihigo” (英語). SABR.org. 2013年4月20日閲覧。
- ^ NLBPAによれば、この試合でペイジは腕を痛めていたために、アンダースローで制球重視の投球をしていたが、それでも6回まで無失点に抑えていたそうである。
- ^ “Cuban Baseball Hall of Fame” (英語). Baseball-Almanac.com. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Dihigo played all nine positions in the Negro Leagues” (英語). MLB.com. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Clemente headlines All-Time Latino Team” (英語). MLB.com. 2013年4月20日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Baseballhalloffame.org– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- Negro League Statistics & History - Baseball-Reference.com - ニグロリーグ通算成績(不完全)
- マーティン・ディーゴのページへのリンク